猫を殺すはなしをする人々のはなし

ネタ元はいわずと知れた坂東女史のエッセイによる一連の騒ぎですが。<今頃w

わざわざ取り上げる気がしなかったのは、私が取り上げるまでもなくいろんな人がこのエッセイを取り上げていたことがひとつ、もうひとつには私自身の感想としては「ひどいはなしだなー」とは思ってもいたたまれないほどの怒りを感じる、というほどの強い感情を持つことはなかったから。
いや、そりゃひどいと思うよ。なにしろ最初にこのはなしを聞いた時には恐くて坂東女史のエッセイに飛べなかったくらいだし。
でも実際読んでみたら自ら殺してるわけじゃなく、崖下に“捨てて”るんだし、単に無神経でグータラなおばちゃんじゃん。つーか「殺してるんじゃなく捨てているんだ」と自分に言い聞かせてすり替えたことを、わざわざ文章で「殺している」と再変換する辺り、作家の自意識って因果だねー、と思ったくらいで、こういう人のお宅に生まれた猫にしたら、崖下に捨てられて一瞬で逝けるのはむしろ僥倖なんじゃないかと素で思ったんですよ。せめて楽に死なせてあげたいじゃん。
近所の人が捨て猫を見つけて連れてくるような猫屋敷に生まれて、猫のいなかった時期のが少ない、捨て猫を見ないふりするのに膨大なエネルギーを必要とする私ですが、この人アタマオカシ過ぎてまともに腹立てる気になんねーよ。
ってことで今までスルーしてたんですが、巡回先で取り上げられてるいくつかのエントリに、どうにも微妙な気分になって今頃この文章を書いているんですが。

あのね。別に動物なんかどうでも良いと思ってる人に同じだけ腹立てろとは言わないし、私は通常巡回ルートで見た分しか知らないけど、中には言ってる方もイタタなエントリもあったんだろうと思うよ。だけど、猫を殺すはなしを得意げに発表する作家を、自分に関係ないと思うのに擁護するのはどういう感覚なのかな、と思うわけです。

永井豪の初期の短編で「赤いチャンチャンコ」というのがあります。増え過ぎた人口に対する政策「60才の誕生日を迎えた者に石油をしみ込ませたチャンチャンコを着せて火を付ける」を受けて、優しい嫁や孫に恵まれて幸せに暮らしているつもりだった男が殺されるブラックコメディーです。

漫画としては不滅の名作ですが、「もうこれやんないと駄目だよ」と公の場で言う人がいたらなんぼ叩かれてもしょうがありませんよね。この騒ぎで女史を擁護する人を見ると、私このはなし思い出してしょうがないんです。日本の繁栄を支えてきた方々となんの役にも立たない猫を同列に論じる私も痛いのかも知れないけど、一生に一度も「死ね、ジジイ」と呟かない人は「死ねよ、この猫」と呟かない人より少ないと思いますよ。

人の本音は往々にして人道とか倫理からは遠いところにあって、本来なら自分が人からほめられるような人間でないことを赤の他人に責められるいわれはありません。けれど自分はほめられないことをしていると宣言したら、その行為を責められても仕方ないし、その行為にちゃんとした妥当性を見いだして説明できないなら、それを擁護する行為は「私の道徳観はほめられないことをする人と似たようなものです」と言っているのと一緒です。

正直この騒動に対する私の感慨は女史の猫殺しに憤るよりこの文章を発表する頭の悪さに呆れる気持ちの方が大きいし、どちらかというと女史より日経新聞の方が馬鹿だと思ってます。「日経にそこまで責任があるか」という人もいますが、元の文章からこの騒動が起こることは容易に想像できたし、反道徳的な文章に発表の場を与えないのもメディアの責任だと思うんですがどうでしょう。
その後日経の態度がどうなっているのかは知りませんが、謝罪文とはいわないまでも批判的スタンスの社説くらいはあげる責任あると思いますよ。

猫の避妊は飼い主の責任だといっても法的に義務づけられてるわけじゃない以上、生まれた猫を捨てる人が身近にいてもを面と向かって非難しようとは私は思いません。猫をもらってあげるとか飼い主を探してあげるとかができないなら、それも一種の無責任だと思いますから。
けれど「生まれた猫が飼えないから殺す」と公言する人に「飼えないなら避妊手術するべきだ」という意見が不当だという人がいるのってなんかびっくりするんですよ。
悪いことしてるのを非難されたくなかったら、見つからないようにこっそりやるのが当たり前でしょ?

坂東女史には、エッセイではなく小説として「動物の生の意味は子を産むことだけ」と言い張って猫を殺し続けるる女のはなしを書いて欲しいものです。
ついてはその描写をよりドラマチックなものにするために、次に産まれた子猫は「崖下に捨てる」なんてお手軽な方法じゃなく、ちゃんと手にかけてくびり殺すなり水に沈めるなりして欲しいですね。
自分の手のひらの中で小動物が動かなくなる瞬間や、弱々しい声が途絶える瞬間を経験してなお同じことが言えるなら、ある意味見上げたものだと認識を改めますよ。

そしてそういう、命が消えることに憤る感覚が分からないと言う人は、ほんとこの問題にはなにも言わないで欲しいと思うんです。
正直猫を殺していると公言して悦に入るブンガクシャより、それを異常だと思わないイッパンジンの方が、私にはよっぽどキモチワルイんですよ。