ヤクザと家族 The Family

監督・脚本:藤井道人

見ていてすごくすごくすごくイヤな気持ちになった(w。

なんで見に行ったかと言うならもちろん綾野君の評判が良かったからで、でも「綾野君でヤクザ?」とは思ってたんだよね。だって綾野君てヤクザっぽくないじゃん。←ヤクザにうるさい(w。

見たらやっぱ綾野君はヤクザっぽくはなくて、でもこの役はヤクザっぽくはない綾野君だから良かったんだと思う。

ヤクザって、チームプレーだと思うのよ。

でも山本賢治綾野剛)ってのはハンパなカリスマで、鼻っぱしらの強さでヤンチャしていても、モノホンのヤクザに拉致られてしまえば友達まで巻き添えにボコボコにされて、臓器売られて終わる程度のチンピラなんだよね。

それは6年後のシーンでも変わらなくって、まあこの映画の場合対立組織の侠葉会があまりにも非道で普通の落とし所が探せないっていうのはあるんだけど、やっぱ組の盃もらった人間が、相手の幹部ボコったらマズイに決まってるじゃん。

その結果ああいうことになって、でも賢治があれをやったのは大原(二ノ宮隆太郎)を殺されたからで、柴咲(舘ひろし)のタマを軽んじられたことが許せなかった中村(北村有起哉)とは動機から違うよね。

その辺り、この映画が「ヤクザと家族」なのがヤだなあ、って。

山本って、要は父親に見捨てられたことに拗ねてたんだよね。

第一章のエンディングがすごい良いんだけど、あのシーンっておいたが過ぎて怖い目にあった19才児が、親のところに帰って泣きじゃくるシーンだと思うんだ。

結局山本にとって重要なのは柴咲って“親父”ができたことで、他の組員は“家族”だったわけでもないんじゃないかなあ。

そういうところでなにやっても可愛がられる山本が銃を使う前にヤッパを使う中村が、「なんか愛玩子と搾取子って感じ^^;w」とは思ったw。

最終章がタルいって感想結構見たけど、基本的には最終章だけで良い映画だと思うんだよね。先の2章はその関係性を描く前提で、描きたいことは全部最終章にあるんだと思う。

そこでヤクザがあまりにも無力だから、見てていやーな気分になるんだけどさ。

ゆか(尾野真知子)が「あんたなんか好きにならなければ」って言ってたけど、それは山本だっておんなじで、山本がゆかを捜さずにいられなかったのは、山本がゆかを好きでどうしても会いたかったからだと思うんだ。まあ多分できた子どもを始末できなかったのも、ゆかが山本を好きだったからなんだろうけどさ。

でもそれって細野(市原隼人)にとってもおんなじで、細野こそ山本に出逢わなければヤクザにもならなかっただろうし、再会した山本とのかかわりを断てなかったのは、再会がうれしかったんだろうなって思うよ。だとしたらラストのあれって、ゆかがやっても不思議じゃないんだよね。

ヤクザという生き方が非難されるのは当然として、その生き方を捨てることすら許されないのなら、どうやって生きろって言うのよねー。

綾野君が疎外感キャラだっていうのは散々言ってきたことだけど、「ヤクザと家族」はどこにも居場所を作れない人間が、かりそめの居場所を求めてあがくおはなしでした。そのあがきこそ切なかったよ。

あ。翼の磯村勇斗はめっちゃ良かったです。その存在こそ手向けの花束であるような役でした。