米ちゃんってさ

別にヨネムラ批判のつもりはないエントリなんですが。

以前感想に書いたことがあるけど、「世界の外で二人だけで生きる」という擬態天道とひよりの姿は、今回完全に地獄兄弟とシンクロしたわけで、この感想を書いた時点とは逆に、地獄兄弟こそが相手以外なにもない世界で充足できる嘘のない姿として完成したわけですが、これって「Sh15uya」のオチとおんなじだよね。
ターゲットがかぶっていることが容易に予想される作品に同じオチを持ってくる(あれはカブト内「地獄兄弟」という別作品だろう)辺り、米ちゃん的にあれは一種こだわりの美意識なんだろうし、成長を求められない在り様の描写*1としてならおっけーだと思う辺り、伸ちゃん的にもそれほど忌避感はないんだろう。今にして思えば私があれだけひよりの行動に憤ったのは、ひよりと擬態天道が二人で生きる「世界の外」を、米ちゃんの筆が美しいものと描写していたせいともいえる。
でもって43話の感想に書いているように、それを美しいとする感覚自体は私の好みでもあるし、擬態天道とひよりという許されるべきでない存在の在り様としてなら全然“有り”だと思う。今週の感想に「物語としては美しい」って書いているのはそういうこと。
いろいろ見方はあるだろうけど、今回兄貴に自分を殺させた影ちゃんは人の在り様として絶対に醜いし、その醜さを受け入れて屍を抱く兄貴も、その醜さを受け入れる物語も美しい。けれどその美しさは、現実には許されてはいけないものだと思うんだ。愛する相手だけで充足する非生産的な世界の美しさなんて美しい以外なんの意味もないし、知り合いがそんなことやろうとしたら全力で否定する。
そういう美しさを求めた物語があるのは分かるし、米ちゃんがこのはなしをガワなしで80分くらいのミニシアター系の映画とかでやったんなら東京まで見にはいかなくてもDVDはコレクターズボックスで買うよ(笑。
尺が足りないって言われてるけど、私は今週のこれはこれで良かったと思う。ネタバレで事前情報のあった影ちゃんが絶望して兄貴を襲うエピとか予告にあった毛布のシーンから考えたら、たぶんもう少し徐々にワーム化して、影ちゃんの死の前に兄貴を襲って逆にやられて事情を話すシーンがあったんだろうけど、それがあったとしても、それは「地獄兄弟」を「仮面ライダーカブト」にすり寄せる手立てという以上のものじゃなく、「地獄兄弟」の結末がこれである以上、それは「仮面ライダーカブト」とは絶対相容れないものなんだから逆に中途半端になった気がする。今週わずか2分たらずの兄弟のシーンでこれだけ語れるのは、すり寄せる努力を放棄した故にこのはなしが「カブト」の尺度と切り離して語る以外できない代物になって、だからこそ美しく成立しているからだと思うんだ。

思えば間宮回の「おかえり」や二人で乃木を倒したぼっちゃま死亡回は、カブトじゃおなじみの米ちゃんと敏樹さんの「キャラ解釈の違い」でしかなかったんだよな。*2
米ちゃんにとっての兄貴は言うこと聞かずにザビーになった影ちゃんの敵をとってくれるような、理も非もない過保護のおかーさんだったんだ。“影ちゃんへの情”というイコールで結んで、勝手に連続線上にあると期待した私が間違ってたよ_| ̄|○
米ちゃんが描こうとしたのは、どうしようもない二人がどうしようもないままに二人だけで充足する世界。それが美しく成立していることにどうしようもなく腹が立つのは二人がライダー世界の住人だから。だって私にとって平成ライダーはその心の痛みをリアルにイメージすることで成立する世界だから。いってみれば気分は友達だからね。こんな死に方されて納得なんかできません。
二人はどうしようもなく、影山らしく、矢車さんらしくこの世界に在った。ライダー世界の住人ならば生きて自分を受け入れるか暴力に踏みにじられて非業の死を遂げるかしなければならないと思うけど、米ちゃんも白倉さんもそうしないで、石田監督もあくまで美しく描いた。
それに腹が立つのは、ある意味私が二人をそこまで好きじゃないからだ、というのは当たっていると思うよ。私としては、ライダー世界の住人らしい変貌を遂げて逝って欲しかった。
だって私兄弟より伸ちゃんの方が好きだから(爆。

まあ2分足らずのシーンで私の心に消えない傷を残すような世界を描写した点はすごいとおもうよ。うん。

*1:深夜枠の「Sh15uya」ではSHTほど教育的な道徳観は求められないし、地獄兄弟は最初から成長とは真逆の在り様と設定されている。

*2:敏樹さん的には、「こんなキモイ連中このままにしておけるか」って感じだったんだろうけど。