仮面ライダー電王について考えた

4フォームキャラ立て編まで出揃ったところで自分なりに現状認識を。
わりと早い時期に書いたことがあるけど、私にとってこの番組って長澤版の「セーラー服と機関銃」なんだな。電王がセーラー服に似ているというより、セーラー服が東映やくざ映画だったって意味で。
タロスと良太郎の信頼関係に葛藤がなくてつまらないって意見は分かるんだけど(わしもそう思う)、タロスと良太郎の関係ってやくざ映画の「男心に男が惚れて」だと思う*1
ただやくざ映画といっても良太郎のポジションは普通に主人公にされる兄貴分ではなく組長(親分)である。電王はいわば清水の次郎長一家のような良太郎を核とする群像劇で、良太郎自身のドラマ性はどうしても弱い。そこが「面白いけれどはまれない」といわれる要因なんだと思う。
しかし電王の面白いところは、良太郎を18才というタロスたち(除くリュータ)より一段若い世代に設定してあるところにある。イマジンであるタロスたちからは普通に容姿から年齢を推測することすらできないが、MUKの各良太郎を見ていても、未来における彼等の実体が良太郎同様18才くらいの少年であるとは考えにくい。とりあえず20才過ぎの山越が「兄貴」と呼んだり、節操なく女遊びしていても違和感がない程度の(これ自体はむしろ10代の方がそういう子は多いだろうが、ウラのパーソナリティはそういう若さに任せた浮気癖とはまったく別物と描写されていると思って良いだろう)、老成にはほど遠くても少年を名乗るのは図々しい年代(情報にあった22才辺りが妥当な線かと)だと思って良いんじゃないだろうか。R良太郎が良太郎よりは若そうに見えることからしても、タケるん自身には各パーソナリティごとの年齢設定がちゃんとある気がする。
それがどういうことかといえば、良太郎がなにを言おうと現実にはタロスたちの方が世の中を知っているし経験値もあるということだ。ただ経験を積めば人が良い方向に進むとは限らない。3タロスと良太郎を比べれば喧嘩上等の暴れん坊や詐欺師や格闘技バカよりは無関係な人間のために無条件で奔走できる良太郎の方が上等な人間なのはあきらかで、厳密な意味の差異はあっても少なくとも3タロスは良太郎の善良さを侵しがたい特質と認めて「良太郎>タロス」のパワーバランスを許している。良太郎が死んでしまえば自分も消えてしまうという事情はあるにしても、彼等の関係はタロスの方が大人だからこそ良太郎を認めてやっている部分が確実にある。
だから良太郎より子供なリュータに対しては良太郎の不可侵性は通用しない。良太郎がリュータを抑えきれないシーンがたびたびあるのは、登場の時点で良太郎に呼びかけるハナにリュータが自信満々で「良太郎は深いところにいるから聞こえない」と答えてるし、人を操る能力があるところから見ても他タロスより憑依能力が高い設定なんだろう。これは登場回の描写を普通に見れば分かることで、米ちゃんの設定無視じゃないよなw。良太郎が「僕の体だから出ていって」というシーンがわりと頻繁にあったことからいっても、良太郎はいざとなればタロスを抑えられるとしても、それはかなり頑張んないと難しいことだしリュータ相手だとさらに大変なことなんだろう。
前に問題にした良太郎のリュータ容認台詞が消えたことがどの段階で決められた今後の展開に影響のあることなのかないことなのかは分かんないけど、リュータの存在って良太郎の(もしかしたらリュータにとっても)成長イベントに関わるものなんじゃないのかな。だってリュータがはなし聞かない子なのは確かだとしても、リュータとはなしをしようとしない良太郎は絶対良太郎らしくないもんw。
私が靖子にゃんの仕事を意識して見たのがセーラームーンなのはあるけど*2、良太郎のキャラとかぶるのはうさぎだ。状況判断が適切で他メンバーに好かれているうさぎのセーラームーンがはなし地味なのはそりゃ仕方ないよねと思いつつ、私が電王を気に入っているのはその地味さが好ましいからである。電王においてゲストキャラのエピが過去に飛ぶ仕掛けでしかないのは見てれば分かるし、それがまずく出たのがリュータ登場編の公園管理人とレイジのはなしだと思う。あのはなしが微妙なのは心残りの解決策も管理人の現状認識も視聴者から見て変だったからである。心残りがあったのは管理人じゃなくレイジだってはなしだけど、管理人の方にも小犬の死から始まったレイジとの行き違いが心残りだったのだけどそれは子犬が死んだせいではないのだから、子犬に死なれたレイジに管理人が現在のシーンでかけた言葉をその時にかけさせ、現在のシーンでリュータだけでなくダンス少年にも子犬とでも遊ばせておけば良かったんである。ついでにいえば「早くしないと子犬が死んでしまう」という言葉を良太郎に聞かせるだけでなく、子犬の死をリュータに悲しませた方が良太郎も視聴者もリュータに感情移入しやすかったんじゃないだろうか。
靖子にゃんの真骨頂は気持ちの積み立てからくるカタルシスだというのは私も思う。私が電王に不満を感じるとしたら、その部分のドラマを担えるはずのハナをイマジンとのどつき漫才に便利に使うことを優先して、ハナがタロスをどう思うのかという描写がまるでないことくらいだ。もっともその部分も次回で良太郎の事情が描かれればまた変わってくるだろう。
最初から言ってることだけど、良太郎は巧のように利他心だけで生きているわけではない。4話で描かれた良太郎の強情さは、イマジンと戦える“電王”という存在を喪失させる行為でもあったはずだ。木場にファイズギアを託して死のうとした巧とは根底から違う。
良太郎がそういう子なのが好ましいのは、私の視点が伸ちゃん萌えだからであろう。再々Pの文芸性を問題にするがPがストーリーのすべてを決めていると思っているわけじゃない。視聴者がなにを見たがっているかという判断は自分がなにを見たいかという気持ちと無縁には成り立たないと思っているだけだ。
「間違っているかも知れないけど、なにかをしてあげたい」
伸ちゃんがそういう気持ちを描きたいと思ったんだとしたらすごいじゃないかと思うだけのはなしであるw。

まあ良太郎自身のはなしも今週描かれそうだし、2号ライダー登場の噂もあるし、なによりまだ3クール近く残っているんだけど、地味なはなしなのは変わんないかもねえ、とニラニラ見ていこうと思っています。私は好きだからw。

*1:これはセーラー服の星組組員もそう。若頭の佐久間は関係が近かった分違う感情があったと思うけど、他の組員に関しては泉が可愛い女の子であることは浅い部分では関係あっても、本質的に彼等が惚れたのは泉の漢気(おとこぎ)だと思う。

*2:龍騎は弁護士の登場が2回遅ければ多分視聴をDVD2巻まででリタイアしてた(-_-;