良太郎★俺が正義w

私の「良太郎擁護の頂点を目指す(w」がびみょーに嘘なのは、良太郎を嫌いだと言われても私はなんとも思わないからなのな。
そもそも私電王のはじめから、良太郎の気持ちが分からないと思ったことがないというか、靖子にゃんがどういうつもりで書いているかは別にして私には良太郎が“分かる”んだね。人から見たら辻褄があっていないように見えるんだろうなと思う意味不明の行動でも「あー。こういう気持ち分かる」と思う良太郎の行動の動機とそこから見える人物像が揺らぎないから、靖子にゃんの狙いと電王の物語に不安がないんだよ。その揺らぎない描写から見える人物像が嫌いだって人になに言ったって仕方ないじゃんw。
「良太郎分かんないから嫌いです」と言われて視聴モチ失われるのは電王好きの立場としてはちょっと悲しいので電王のはなしの流れで説明することはあっても、根本的に分かってないなという人に分かってほしいとは思わないし、分かった上で嫌いだという人に好きになってほしいとも思わないし。
前に特撮カテゴリで「ファイズギアのない世界を乾巧は生きていけるのか」というエントリを上げたことがあるんだけど(というか、これを上げる前の覚え書きの方が今日のエントリの内容には則しているなw)、このコメント欄まで見てもらえばもうなにも書かなくって良い気がするっていうか、このコメント欄で黒猫亭さんの言ってる真司のやるべき行動とかまんま良太郎だよねw。
そもそも龍騎の真司っていうのは戦いの動機を背負った各ライダーに対してなにも背負っていないせいで己の正義を貫けなくなってしまった主人公なわけで、蓮と真司のやり取りなんてまんま侑斗と良太郎なんだけど、「じゃあ俺が戦うのやめたらおまえはなにしてくれるんだよ」と言われて黙るしかなかった真司に対して、「だって間違ってることは間違ってるじゃん」って押し通そうとしたのが良太郎。だけどあえて間違ったことをしていた蓮と違って侑斗は間違ったことをしているわけじゃないから、良太郎は「何枚カードを使っても僕は忘れない」と宣言することで一緒に侑斗の背負っていたものを背負うんだよ。良太郎はなにも背負ってないんだけど、だからこそ侑斗の重さを一緒に引き受けるんだね。
もちろん良太郎が背負うと言ってもそれが侑斗の荷物であることは変わらない。それを自覚なく背負うと宣言してしまえばそれは単純なおめでたさにしか見えないわけで、その重さを描くための前ふりが今までのエピだったわけでさすがに「最初からクライマックスだぜ」ってわけにはいきませんでしたねーw。

私は良太郎の気持ちは分かるとはいっても、今までの平成ライダーならこういう子は絶対もっといじめられただろうなとは思うのね。という点で「伸ちゃんは良太郎には甘いなあ」というのは最初の頃からずっと思っていて、よーするに自己投影をやめたんだろうなって思ってるんだ。そういう意味では天道がああいう主人公だったのも同じだったんだろうと思うけど、天道の造形の基本が「あるべき姿」への憧憬だったとしたら、良太郎の基本は「ありたい姿」への共感なんだろうと思う。だって今までの主人公を見てきて、伸ちゃんが本気で良太郎のような在り方を否定したいなんて思えないもん。

上のコメント欄で私は「世界を救えるのは祈りである」という思想があるのかなと推理して龍騎の優衣とセーラームーンのうさぎを持ち出してるけど、龍騎セラムンがなんでああいう終わり方をできたのかは分かんないのね。理屈としては納得いかないけど「祈りが通じた」という形の救済の形としてなら納得できて、でもそういう理屈でない救済をもたらすのがヒーローの役割だと思うそのヒーロー性を、良太郎はちゃんと引き受けていると思うんだ。劇場版にしてもクライマックスフォーム登場回にしても先週にしても、牙王やアリキリやモグラに対して誰もがもう駄目だと思った時に、ヘロヘロになっても立ち上がるのが良太郎でそんなのまともにやっても勝てないのにそんな状態で勝てるわけないんだけど、良太郎の祈りはちゃんと通じるのが電王の世界であり良太郎の主人公性なんだ。良太郎が非力なんで気付きにくいけど、天道の主人公性で成立したカブトと構造は一緒なんだね。それ自体は「いやヒーロー物の主人公ってそんなもんでしょ」ってはなしなんだけど、それを与えられずに無駄に逡巡させられたのが白倉ライダーなんだから、これはすごいよと私は思います(w)。

良太郎を読み解くのに私はずっと「利己」というキーワードを重要視してるんだけど、「利他」の呪縛で動けなくなったのが今までの白倉ライダーなんだけど、良太郎は行動の動機が「自分」だから動けなくなることがないんだね。「だって僕は嫌だもん」で済んじゃうんだから(笑。
そこで押し通す「自分」の「在りたい姿」が良太郎の正義でありヒーロー性である、「すべてを守りたい」という意志と祈りこそ良太郎のヒーロー性だと思うんだね。もともと利己と利他っていうのは境界の曖昧なもので、善意の動機がなにかなんてことは言ったってしょうがないことなんだけど、そこに紛れ込んだエゴを受容できずに迷い続けた白倉ライダー世界がその曖昧さを容認したことこそ、私が電王を絶対支持する理由なわけです。
って、これ電王カテゴリだけどシラクラ語りだな。ごめんw。