過去の自分はたいていいつも、未来の自分より僕に優しい

まあ番組見てて思ったことですらない、極私的実感に基づくキャラ解釈なんですが。

私の言うことがコロコロ変わるのはいつものことなんで気にしないで欲しいんですが(w)、#35の感想でさんざん「桜井さんがむかつく」と言っておきながらあっさりそうでもなくなったのは、このはなしを見返してみたら桜井さんが侑斗にカードを渡すことを躊躇してるのに気付いたからなんですね。顔も見えないのに中の人おつかれさん(笑。
私のように「侑斗みたいな子供にこんな過酷な運命を背負わせるなんてひどい」と桜井さんを怒っていた人は多いと思うんですが、逆に言えば過酷な運命だからこそ、桜井さんは自分で背負うしかないと思ったんでしょう。だったら現在進行形30いくつの自分でやれよってはなしなんだけど、そこはなんか理由があるんだよねきっと。

そこで思い出すのが劇場版の子供良太郎=小太郎なんですが、劇場版で良太郎を未来の自分と知って驚く小太郎に良太郎は申し訳なさそうに「がっかりさせちゃったかな」と聞くんだけど、小太郎の方じゃ「時間の中を動く列車に乗るなんてすごい」と全肯定してくれるんですね。本来は良太郎が変身して戦っていることを察して、記憶を失った良太郎の代わりに変身して戦う小太郎はさすが良太郎なんですが、桜井さんが侑斗にカードを託したのも同じことだと思うんです。18くらいで自分がどんな子供だったかなにを考えていたかを覚えているかっていうと微妙だけど、侑斗くらいの年齢になればその後の経験で多少の差はあっても人格ってそこそこ完成してます。
自分にまつわる記憶と引き換えに戦うなんていう運命は誰が背負うにしてもあまりに酷い。現に自分が侑斗の頃にそんな酷い目に遭っていたわけでもない。それなりに穏やかで幸せな少年時代があったはずの大人桜井にとっても、目の前の“自分”がそういう日々を送れないことへの傷みの気持ちはもちろんあるのでしょう。それでも誰かが戦わねばならない時に侑斗を選ぶのは、ここまで酷い運命じゃなくても生きていれば誰でも出会うそれなりにつらい体験を、ちゃんと耐えて「どんなことをしてもこの時間を守らないと」と思える大人になった自分の“過去”を信頼しているからだと思うんです。

自分のことになるんですけど、再三言っていることですけど自分自身の過去のつらい経験に対して、それがつらかった記憶は確かにあるんだけど「でもなんだかんだ言ってそのつらさにも、死んじゃおうとか壊れちゃえとか思わずに持ちこたえたよなー。私エライっ」とか達観している部分があるんですね。だからあの頃の自分に会う機会があったとして、まあ「あまり自分一人で背負い込まないように」くらいは言いたい気はあっても(w)、「後でつらい思いをするからやめた方が良いよ」とか言おうとは思わないんです。それは自分の経験したことだからそうせずにいられなかった気持ちも知っているし、結果的にそれに耐えられることも知っているから。
過去の自分に対して理解と信頼が前提としてあるから、あまり「つらい思いをさせたくない」みたいには思わないんですね。

しかし逆に過去の自分が今の自分をどう思うかと思うと、「もっと幸せでも良かったのに可哀想」とか思うんじゃないかって気はするんです(((爆笑)))。

子供の頃の自分の描く未来像はいろんな意味でステレオタイプで、それでも自分が不幸であって構わないと思っている人は少ないと思うんです。分かりやすい成功であれ分かりやすい平凡であれ、未来の自分は分かりやすく幸福なんだと人は無条件に信じている気がします。だからそうでない現実を知ると、過剰に同情してしまうんじゃないでしょうか。だって未来の自分って、誰よりも幸せでいて欲しい相手でしょ?
私は桜井さんはあの湖で失踪した時点で消えるのが一応確定していて、それを回避する手段がゼロノスのカードなんだと思っているんですが(だから自分が“存在した”時間でいろいろやってる)桜井さん本人は自分が消える覚悟はしている気がするけど、侑斗の方は自分が戦うことで“未来の自分が消えることのない未来”を勝ち取ろうとしているんだと思うんですね。愛理のことも含め、未来の自分の幸福を守るために戦っているんだと思うんです。

桜井さんが侑斗を選んだのは、自分のそういう強さや優しさを誰よりも知っているからだと思うんですよ。