さよならは別れの言葉じゃなくて

電王見てるとマジで発想の原点は「セーラー服と機関銃」なんじゃ、と思うんだけど。

えっとさ。自分が消えることを厭わずに良太郎と戦っていたタロズの気持ちが納得できない人多いみたいだけど、タロズのアイデンティティって仁侠映画のヤクザだと思うんだ。だからタロズが良太郎と戦うことを決めた時点で、良太郎の意志に従うために命を惜しむことはないというか、そういうこと考えないのが彼らの心性なんだよね。私はそれを彼等の享楽体質、みたいな呼び方をしてきたけど、予告でキンタが言っていた「良太郎に預けた命」はキンタに限ったことじゃなく、みんなその辺は同じなんだよ。各自の性格でそのノリに違いはあっても。
そういう意味じゃむしろ、自分達の存在を守るためにカイに従って破壊活動やってる他のイマジン連中の方が真っ当にカタギなんだけど、そういう保身のために命を惜しむことができず、生き様に惚れ込んだ親分なり兄貴なりのために時には命を捨てて戦うのがヤクザ映画のヤクザなわけですね。
もっとも電王における良太郎にそういう意識は別にないし、彼自身の意識は真っ当にカタギだから自分の身内が自分のために死んじゃうなんてことは耐えられないんだね。良太郎がどんな性格かというのはいろいろ議論の別れるところだろうけど、彼は少なくとも根っから善良な子じゃない。人の気持ちや後悔に敏感でなにかしてあげたい気持ちは人一倍あるけど、自分の不快感は二の次で他人優先なんてことはないし、自分に向けられた悪意には悪意で報いるし、時にはそれが善意でも自分が不快なら嫌な顔をする。ただそういう自分の気持ちを善悪に照らして、善くありたい、人を傷つけたくない、という気持ちは強いんだと思う。侑斗が出てきた頃にリュータに指摘されるくらい侑斗が嫌いだったのにリュータを止める宣言していたのも、リュータの方が悪いというのは当たり前としても「嫌いな相手より自分の方が悪い」という状況に陥るなんて許せない、という侑斗への意地だと思うんだね。自分の責任において抑えなければならない存在の暴走で、侑斗を危険な目に遭わせたんじゃ侑斗になにも言えない、っていう。ほら。友達に謝るのは平気でも、こいつに頭下げるのは死んでも嫌だってことあるじゃんw。
そういう風に良太郎を見ていると「あーあ」と思うのは、時の運行は守らなければならないけどそれにタロズの手を借りるわけにいかないという彼の尺度が、結局なにごとかに対して自分が手を下すのが嫌なだけだろ?、と思っちゃうことだ。
侑斗の荷物は「僕は絶対忘れない」と一緒に背負う宣言ができるのに、自分が背負わなければならないものに対しては責任が持てないんじゃしょうがないじゃん。命を預かった良太郎がしなければならないことは正義にこだわることじゃなく、預かった命に対する責任を果たすことだよ。
向けられた悪意に対して一緒になって翻弄されてたんじゃ、星泉みたいに組員全員死なせるだけだっつーの。

そういう風に経験値や見た目の威圧感は皆無だけど本人の資質だけがどうしようもなく親分だ、っていうのが星泉であり野上良太郎ではあるのですが、あのはなしみたいにそれで泉のなにが変わるわけでもなく、組員全員いなくなってひと夏の体験、って終わり方はさすがにやって欲しくないぞ、オトコノコw。
自分に対する筋を通すだけじゃなく、もっとおっきなもんにも筋を通さないかんと思うよ。