良太郎★これは僕の時計じゃないから

別に良太郎をコケにされたと怒っているからではないですが(w)、ちょっとだけ伸ちゃんに嫌がらせのエントリw。

良太郎の人となりを表すためにしては愛理さんの出番が多過ぎるというのは最初の頃から感じていたので、愛理さんが物語の鍵を握る人物だったというのがいわゆる“ライブ感”の結果だとは思わないのですが、それでも最初から今みたいな展開にするつもりだったわけじゃないでしょ?と思うのは、今現在時計に刻まれた「過去が希望をくれる」というメッセージがなんの意味もないものになっているからですね。以前侑斗とのやり取りで良太郎が気付いたように、“希望をくれる過去”が過去の侑斗のことなのは少なくともあの段階では当たっていたと思うんですが、今現在の認識だと桜井が時計を残していくこと自体なんの意味もないんですよ。
だって桜井の失踪が愛理も覚悟の上のことだったんならメッセージを残していく意味がないし、失踪後の支えとして形見に残したにしても、桜井の記憶のない愛理には“形見”自体意味のないもんじゃないですか?
だからといってあれが良太郎へのメッセージだとも思えないのは良太郎宛のメッセージとしてはまるで意味がないし(良太郎が電王であるとしてもないとしても、侑斗が良太郎の“希望”であるとはちょっと思えないw。侑斗がいいやつなのも良太郎が結果的に友情を感じてある種の支えとかモチになってるのも確かだとは思うけど、それは良太郎の物事に動じない、ある意味無敵にKYな性格によって導かれた結果であって、桜井が良太郎の“希望”として侑斗を遣わしたとしたら「あんた過去の自分のことどれだけいいやつだと思ってんのよ」ってはなしである。普通あそこまでツンツンした対応をとられたら、その段階でお近づきになろうと思わんw)、物語の中で良太郎があれを自分の時計とは認識していないからです。

物語の序盤から、あの時計は意味ありげに桜井の望遠鏡の下に隠されていたんだけどそれは良太郎のしたことだったはずなんですね。過去で桜井に会った良太郎がタロズに桜井のことを話した時点では良太郎は桜井のことを死んだものと思っていて(「たぶんもう」というセリフがあったはず)、時計を隠していたのもたぶん死を思うほど桜井を好きだった愛理のために、記憶のない愛理の代わりに桜井の残していったものをしまっておいただけで、桜井に会った後も愛理が桜井のことを思い出して桜井も愛理の元に帰ってくる、良太郎の信じるハッピーエンドを目指す決意の顕われとしてあそこに置かれていたに過ぎません。つまりあの時計は、物語の中でずっと愛理のものだったわけです。

それはある意味なかちゃんの演じる少年桜井=侑斗の存在に似ています。
体力に劣りヒーローとしてははなはだ心許ない良太郎の前に現れ、時に良太郎に代わって戦い、時に良太郎を助けるゼロノス=侑斗の存在は、確かに良太郎を助けるためのものに違いありません。
でもそれは、分岐点の鍵である愛理を守るためのものです。敵の敵は味方とばかりにイマジンと戦う結果として、同じ様にイマジンと戦う良太郎と共闘する形になっただけでゼロノスの戦いが良太郎のためだったわけではありません。成り行きの共闘の結果お互いの思いに共感したり友情を感じることはあっても、それは良太郎と侑斗自身の問題であり手に入れたものであって、良太郎と侑斗の関係性において桜井のしたことは、かなりこの二人の少年の性格や感じ方を無視した無責任で場当たり的なものといえます。

侑斗登場の時点で彼のキャラをタケるんの事務所の先輩であるこまっちゃんの演じたセーラーVになぞらえましたが、侑斗のキャラと美奈子ってやっぱかぶってますよね。前世の因縁から来る使命感が行動原理だった美奈子に対して、侑斗の行動原理は未来の自分=桜井に言われた時の運行=愛理を守らねばという使命感だったわけですが、その行動自体が間違っているわけではないとしても、使命感に拘泥して自分や周囲の行動や人となりを見ないことによってより事態を悪くする愚かさは彼にもあったと思うんです。今週冒頭で侑斗が桜井への不信感を口にしましたが、愛理とともに未来を守ろうとする大人桜井の決意が美しいものなのには異存ないとして、不運な高校生として姉の庇護を受ける少年良太郎しか知らない桜井の知らない良太郎−−決意のためなら恐怖も体の痛みも克服して立ち上がることのできる、極限状況だからこその強さを持つ良太郎−−を知る侑斗には、デネブの言うように良太郎に事実を明かして共闘することを考えて欲しかったな、と、実は私が気に入らないのって一番はそこなんですよねw。

物語に登場した3つめの時計が、いまはまだ物語に姿を現していない誰かのためのものなのかな、というのは思うんですが、今まで物語の中にあった2つの時計(同じものが2つある時点で時間ものを現す意図だったんでしょうけど、現時点で同じものが2つあることを説明するのは無理じゃないですかw?)は、結果的に桜井と愛理という運命に隔てられた恋人たちが、同じ思いで生きる時間を刻んでたんだと思います。そして良太郎が買った時計が誰のものだったとしても、それが良太郎のものでないことだけは確かだと思います。

電王の最初から、良太郎はさんざんなにも背負っていないとかどうとか言われてて、けれど自分のものではない動機で戦う良太郎がなぜ文句を言われないといけないのか、不幸じゃないと戦っちゃいけないのか、という辺りが私はどうにも不満なんですよね。
だから良太郎がそう言われることに対する面白くなさというのは良太郎というキャラクターのファンとしてはあるんだけど、同時に電王という物語自体を見る時に、なにも背負っていないのに戦える、ということ自体が良太郎の強さだと思うし、“利他の戦い”というある意味究極にあほらしい行為の末に、普通に暮らしているだけではなかなか得られない大切な仲間との絆を得たとしたら、それは良太郎にとってすごく意味のあることだと思うのです。
仲間を殺したくないって泣いてるヒーローなんかかっこ良くもなんともない。相手の真意を知って分かりあうドラマなんて、中学生日記にでも任せておけば良いのかも知れない。
でも少なくとも私は、そういう良太郎の良太郎らしさを見るために電王を見ていたんですよね。

だとしたら良太郎の戦いが、一つとして自分のものではない時計を本来の持ち主の元に返すための戦いなのは、すごく理にかなったことだと思うんです。