バッテリー/#10「俺たちの野球!」(最終回)

原作は今文庫の5巻を読んでるとこだけど、このドラマストーリーのアウトラインはほとんど変わらないけど、キャラ描写が違うからテーマ的にはまったく別もんっていうかむしろ真逆だったよね。
原作は原作で面白いんだけど、あさのさんって選民思想の人っていうか、栄光の青春は選ばれた天才のものって頭のある人だと思う。だから原作だと、天才巧の球を受けられる豪はもちろん、瑞垣も海音寺も青波も選手としてはそれなりのもので、だからこそ天才に届かないことで傷付いたり妬んだりするんだけど、このドラマは重い位置のオリジナルキャラ繭がけして上手くはない尺八を吹いていることが表すように、才能があろうとなかろうと好きなものは好きだしそばの人にできることもしてもらえることもある、ってはなしになってるんだ。
そこがすごい好きっつーか、今になって先週絶対負けないと言う巧にマジになる描写が門脇と瑞垣一緒くらいだったのがすごい良かったと思うんだけど、天才だろうと凡人だろうと好きなものに打ち込んだ結果得た自分の力への意地やプライドは変わらないってはなしだよね。瑞垣の門脇への気持ちは気持ちとして、野球への思いは瑞垣自身のものだっていう。
んで今週は、巧と復縁したらすっかり気がでかくなった豪にむかつきつつ(うそうそw)巧の揺らぎに萌える最終回だったんですが(w)、今週自分の球をコントロールできないという初体験に戸惑う巧を見守るためになにをすれば良いかと考える豪への戸村の言葉とか、巧へのおじいちゃんの言葉とかさ。
戸村がマウンドのピッチャーは一人なんだってことを言ってたけど、それってピッチャーに限らず誰だってそうだよな。誰だって自分の戦いは自分だけのもので誰に助けてもらうこともできないんだけど、それでも投げた球を受け取ってくれる相手もいれば打たれた球をさばいてくれるチームのみんなもいて、それこそこてんぱんにやられたってその敗北は自分だけのものじゃなく、その重さを受け止めるために周りのみんながいるんだ。
だから今週のはなしの中で巧の復調がけして完全なものじゃなくとも、自分の球を迷わず全力で投げられることそのもので豪は揺らがなかったし、門脇はその球の力こそを評価して不調は怒らなかったわけで。
ラストシーン、巧の球がどうなったか、巧と門脇の勝負がどうなったかを明らかにしないままドラマは終わったけど、「負けるわけにいかない」という天才二人のプライドはプライドとして、勝負である以上どちらかは負けるしその敗北は受け止めるしかないもので、だったら最初から勝ち負け自体はたいした問題じゃないんだよね。勝とうと負けようと少年たち(むろん他のみんなも含めて)には少年たちのプライドも意地もあるし、勝たなければ、という意志は勝利するためにあるんじゃなく、戦い続けるためにあるんだ。
病めるときも健やかなる時も、じゃないけど巧はこれからも投げ続けていくんだし、そしてこのはなしの巧と豪というバッテリーの結末として、お互いにピッチャーじゃなくキャッチャーじゃなくても俺はおまえと一緒にいる、という結論はお互いがバッテリーじゃなくって良いってはなしじゃなくて、そういう自分の都合のための相手じゃないからこそ、お互いにバッテリーとして在り続けようってはなしだと思うんだ。だって野球への気持ちって、ふたりにとって一番大事なものなんだろうから。
巧と母親の決着とか、おとうさんとか青波とか豪と母親の関係とか、派手なドラマもカタルシスに満ちた展開もなかったけど、丁寧に積み重ねたものを丁寧に決着させた行き届いた最終回だったと思う。楽しませてもらいました。