仮面ライダーキバ/第41話「ララバイ・心を解き放て」

先週に引き続きほぼ番組とは無関係なデンパを飛ばしますが、良太郎のキャラクターが白倉ライダーの強さを結晶させたものだとしたら、渡のキャラって弱さを結晶させたもんなんじゃないかな。それに関しちゃあまり武部さんの意志って気はしなくて敏樹さんのしたことだって気がするけど。根拠はないけど理由としては、あまり武部さんのキャラとしてクリエイター寄りの人って気がしないんだ。インタとか対談読んでも。それに関しちゃプロデューサーって本来クリエイターじゃないから問題ないと思うし。
あと敏樹さんの意識として、ブレイドに武部さんが参加してたとしても印象として白倉さんのサブだった印象が強いだろうし、キバも白倉ライダーの延長という意識なんだと思うんだよね。まあこの文脈で“平成ライダー”じゃなく“白倉ライダー”という言葉を使うのは、運命に流される渡の属性は、五代やヒビキさんという高寺ライダーや運命と戦う剣崎とは全然別のもんだからね。
もともとキバのキャッチは「運命の鎖を解き放て」だけど、白倉ライダーって運命と戦わない人たちだからさ。白倉属性より小林属性の強かった真司も番組終盤にはジャーナリストという自分の夢を半ばあきらめてライダーの戦いに殉じるし、巧に至っては最初からオルフェノクである自分の運命を受け入れてなるべく人と関わらずに生きようとした上で、オルフェノクとして消える前に自分になにができるかって戦いでしょ? そういう意味じゃ、キバはやっぱ白倉ライダーではないものを目指す気だったんだと思うよ。ただ、それじゃあ渡が戦うべき運命とはなにか、渡の解き放つべき鎖はどういうものかってことは、最初から見せとくべきだったと思うんだよね。
そう思うのは結局渡の頼りなさの理由として、白倉ライダーにある「弱くても戦える理由」が渡からは感じられないからだと思うんだ。白倉ライダーが戦えるのって、まさに「運命と戦わずに受け入れる」強さはあるからだと思うのね。良太郎なんかそれこそ、“あり得ないほど不幸な星の下に生まれた”というところから自我の在り様がスタートしてるわけだし。そういうところでお題目だけは「運命の鎖を解き放て」だったキバの渡が、それならなんで誰のために戦っているのかというのがまるで描かれてこなかったから、ブラッディローズが戦えと言うから、という脚本上の描写はともかくとして、「渡はこれのために戦っているんだ」という実感を得ることは少なくとも私はなかったの。それならいっそ、もっと早くに深央や太牙を出して、渡が戦うのは深央と、恵たち人間との絆のためだという描写で良かったと思うんだ。だって深央って渡がファンガイアだって喜んでるけど、それは自分が人間じゃないことを理由に嫌われることがないと言うことで、深央自身は今でも人間でいたいんだと思うんだよね。渡に太牙を殺してくれって言うのは、太牙さえいなければ自分にクイーンの仕事を強制する人がいなくなる、そうすれば自分はただの女の子でいられる、っていうそういうことでしょう?
だから渡はちゃんと深央に対しても、自分にとってファンガイアとか人間とかは関係ない。自分の周りにいる人間の恵とか名護とかも大切だから、ずっと友達だと思ってて兄だと分かった太牙にもそういうことを分かって欲しい、ファンガイアと人間を繋ぐものになりたいんだ、って言うべきだと思うんだ。
……とまあ今さら言ってもせんないことをグダグダ言ってしまったけどさ。わりとおはなしが面白くなってきただけに、今までの話数がほんともったいなくて。つーかバッシャーとリキと次狼が泣けるで! でもキングの言う“城”ってキャッスルドランのことだよね。違うの?
来週は舞原監督。再登場はすごくうれしいけれど、そもそもなにかを描くための平成ライダー登用だと思う監督は、なにを描くために戻ってくるんでしょうか。つーかキバの肝心なとこってナニ?