テレビネタだけど日記

ツブヤ鬼さんのブログを見にいったついでにトラックバックの先を見にいったら、「女王の教室」について触れたサイトがあった。
由介のサムズアップと篠井さんが気になるも、結局4回くらいしか見なかった番組だけど、私はテレビドラマなんか真面目に見てる人間は世の中の1割に満たないんだから、ちゃんと見てないくせに批判するななんて言うやつはアホって立場なので思ったことは言います。
ま、番組自体は面白かったけどね。

先週のラストで教室で倒れた真矢先生。もしや不治の病でだからあんな無茶を!?と思ったら単なる過労だそうです。
自分が傷つけた子供たちに万一のことがないように、寝る間を惜しんで子供たちを観察していたことが判明。今時珍しいようなぼろアパートには、壁を埋め尽くさんばかりの教育関係の本と各生徒の生活態度を克明に示したファイル。
「実は良い先生なのだ」という証左が次々示されていく中、生温(なまぬる)ーい気分になっていくのは私だけ?

学校教師じゃなくても、健康管理は社会人だったら当たり前のことだ。
仕事のし過ぎで倒れたことを熱心さの証明にするのはテレビドラマではよくあることだが、職場の人間が過労で倒れた時に、誰も「迷惑だ」と思わないとしたら、その人はほんとは仕事をしているつもりで、いらないことしかしてない人なんだと思う。
まして小学校の先生なら、1年間生徒の面倒を見るのは最低条件のはずである。
問題行動が表沙汰になって、教職を追われるような事態を避けることも含めて。

生徒におもねりヘラヘラ媚びてる教師では、生徒自身の意識を高めることはできない。
世の中には厳しい現実がたくさんあるのだから、自分が高い知識欲を持って、現実と戦える力を身に付けないと。
いやもうおっしゃることはいちいちもっともですし、大変私好みの言い分ではあるんですが、それって小学生が学校で教えてもらわなきゃならないようなことなんでしょうか?
実はこれって前半響鬼が生温く主張してきたテーマである。
少なくとも私はそういうはなしだと思って響鬼を見てきた。
そして私はそれでも面白かったから良いんだけど、それって特撮ヒーロー枠で温(ぬる)く語るようなことなのかな、と最近感じていたと同じように、「女王の教室」のあのテーマは、小学校が舞台のドラマで扱うようなことなのかな、と思ってしまうのだ。
3か月のテレビドラマだから戯画化して描いたんであって、現実にああいう教師がいるわけじゃないのだから、それに異を唱えるのが野暮だっちゅーのは分かるよ。
だけど知り合いに正義の味方はいなくても学校教師はいるし、教師としてのあり方に希望くらいはあるわけじゃん?
真矢を良い先生だ、良いドラマだ、と絶賛するのを見ると、「バカじゃね?」と言いたくなっちゃうんである。

ドラマとしては良いドラマだと思う。でも卒業式で1クラスまるまる、式場出ちゃうことが許されるわけないじゃん。
なぜ式が終わった後生徒が真矢を見つけて、歌を歌うとかじゃ駄目だったのだろう。
なぜ真矢は職を追われることを厭わず自分のやり方を押し通したのだろう。
「それではよくあるはなしになってしまう」という言い分は分かるよ。
良いじゃん。よくあるはなしで。
なんか気持ち悪くなってしまうのはその妥協のなさがあえて計算された、スタッフの自己満足に見えてしまうせいだ。

私は今までの響鬼のまったりムードが好きだったが、「こういうはなしこそ子供たちに見せたい」と公式のブログで吠えてる親は馬鹿だと思う。
その人たちの仲間がブログで真矢のことを良い先生だ、こういうドラマこそが今必要だ、と吠えているのには、呆れるのを取り越して笑ってしまった。
テレビドラマなんか嗜好品だ。しょせんは暇つぶしに見るものだ。
そんなものに日本の未来を託してどーする。
伝えたいことがあるなら自分で伝えろよ。

ドラマを楽しむのは勝手だけど、自分がそれに依存するだけならともかく、子供を引き合いに出すその感覚が、もう「バカ」としか思えない。
バカでも子供は作れるから仕方ないんだけどね。