最悪のシナリオ

cron様のMacばなしの含むところは別として、“最悪のシナリオ”という言葉で思い出した思い出ばなしをひとつ。

昔あるバンドのBaが好きで、バンド自体も好きだったけどその人のBaとDrのリズム体は、VoとGuより一段格上だと思っていた。
やがてVoがスランプで曲が書けないとか、バンドしないで女にかまけてるとかいう嘘なんだかなんだかって噂が流れてきた矢先に、Drが違うバンドのオーディションを受けたというはなしを信頼できる筋から聞いた。
それ以前からVoの思考パターンが活動の邪魔になってるように見えたバンド。バンドはともかくVoの人間性には愛想を尽かしてて「Drが抜けたバンドにBa残留」こそが最悪のシナリオに見えていた私には、やがて聞こえてきた「DrとBa脱退」の報告は、好きな人がメジャーのバンドシーンから消えるショックはあっても、最悪よりはましなシナリオに見えた。
……実はクビになったのだというはなしを知るまでは。

彼等はまだみんな細々ながらもバンドシーンにいるし、むしろビッグネームのソロのバックや、インディーズながらもそれなりの知名度はあって、コンスタントにライブしているリズム体組の方が目に付きやすい場所にいる。
それでも当時の私が思ったのは、「最悪のシナリオ」なんてのは、当事者でもない人間が、勝手にグダグダ考えるようなことじゃないってことだ。
商品でも表現でも、それを送り出す人間は受け手に対して誠実であるべき責任があるという言い分は間違っていないし、それを蔑ろにするものが魅力的である可能性は、少なくともエンターテイメントの市場では少ないと思う。
けれどそれは法規ではなく倫理的な問題だ。
送り手が自分のつらさを犠牲にして、受け手に献身する義理はない。

そして受け手に多少でも可愛げがあれば、送り手は意外と相手を可愛がってくれるもんだと思う。