「仮面ライダー」とは

yahoo!のアンケートのついでに見にいった、yahoo!掲示板でトピが立っていたので考えてみた。

正直、個人的には「東映仮面ライダーだって言ったら仮面ライダー」程度の認識しかない。
響鬼がバイクに乗らなくても、仮面ライダーとついているなら仮面ライダーなんだろうとしか思わなかったし、キカイダーみたいにサイボーグ設定の仮面ライダーが出てきても、それはそれでありだと思う気がする。
さすがに東映ウルトラマンみたいな巨大化ヒーローを出して仮面ライダーだと言ったら、「違うシリーズ名つけた方が良いと思うけどなあ」と思うと思うけど。

とりたてて特撮に知識がなくてもライダーが戦隊より対象年齢が高いのは見れば分かったが、例えば来年のライダーが対象年齢を引き下げ、もっと戦隊っぽい感じになっても基本一人で変身する等身大ヒーローなら普通にライダーだと思うだろうし、むしろなんだか対象年齢が上がったように見えるボーボー戦隊を見ていると、対象年齢の交代もあって良い気がするんだけどなあ。
と、脇にそれたはなしは置いておいて。

ことさら“改造人間の悲哀”を標榜しなくても、主人公が戦うことの意味と真摯に向き合えばその手のテーマは自然に出てくると思う。
誰に戦うことを強制されたわけでなくても、龍騎の真司や555の巧が戦う覚悟を語る時に、胸が痛くなるような切なさを感じるのは私だけじゃないはずだ。
だからこそそういうエピソードは、それぞれのライダーのスレッドで、真っ先に「好きなはなし」として名が挙がるのだと思う。
そして「東映」という会社に必ずしも良い感情を抱いていない「デビルマン」と「花と蛇」に腹を立てて帰ってきた私だが、「仮面ライダー」の名を冠して作る以上、戦うことの意味をけして蔑ろにはしないだろうという点には、漠然とだが確かな安心感があるんである。
私にとって「仮面ライダー」とは、「なにかを守るために戦う“人”のはなし」だ。

……と、ここまで書いてふと思ったのだが、「仮面ライダー響鬼」において戦うことの意味は描かれただろうか。
魔化魍をとことん排除すべき存在として描き、戦うことの意味や葛藤をまったく描かなかった仮面ライダー響鬼は、その点だけは確実に新しかったのかも知れない。