カブトの責任

id:lotusteaさんやid:korohitiさんが書いてるんでちょっとだけ。
スタッフの過去作のネタバレもあるから、
読んでから文句言わないでね。
個人的にはもう「カブトの問題点なんか“面白くないこと”に決まってるじゃん」という結論は大分前に出てるし、それが誰の責任かと言えばPだと思ってます。私は伸ちゃん大好きですが別に伸ちゃんのやることを絶対的に評価するほどに信仰は深くないし、逆に言えば「私の好きな人なんだから絶対正しくないとダメ」なんつー種類の狭量さは最初からない人間なんでな。
その面白くなさの主原因はやはり「大筋がない」ことで、その大筋のなさはシリーズ構成をするのがPの責任であると同時にメインライターの米ちゃんの責任だと思うけど、そのメインライターを選んだのが伸ちゃんなんだから伸ちゃんのせいに決まってる。
私は「Sh15uya」はやっぱ伸ちゃんのやっちゃった仕事に入ると思ってるし、その責任も米ちゃんの負うところは小さくないと思うんだけど、じゃあ米ちゃんのなにが悪いのかと言えば米ちゃんはペース配分が悪いんじゃないかと思うのですよ。
ライダーはともかく12話の「Sh15uya」辺りなら最初の段階で全体の展開ができていないとは思えないんですが、あれも大枠は「エマの正体に絡めて閉じた世界に居続けることの意味とそこからの脱出」だと思うけど、それにしたらエマの正体バレが余りにも終盤で、確かにびっくり展開ではあるけどそれによって「常に置いていかれる少女の孤独」というおいしいドラマ性を犠牲にしちゃってる。もうちょっと正体の伏線を序盤に張ってエマの出番を増やし、オチを臭わせてツヨシに頑張らせればツヨシの影も濃くなっただろうに。
今回のカブトもなんでもうちょっと早くにひよりの正体臭わせて天道と絡めておかなかったかなー。ドレイク編がテーマを描いてたのは分かるけど、主人公がテーマを語ってないのにゲストが語るのっておかしいじゃん。テーマを語るのは主人公の仕事だろー?
Sh15uya」見た時にはシブヤとエマの正体をオチに持ってきて驚かすことを主眼に置いたのが悪かったと思ったんだけど、最近カブトのことを考えた時に、これもあれもペース配分の失敗だなーと思った。
ツヨシにも天道にも言えることだけどあまりにも土壇場でオチが明かされるために、その事態をどう受け止めるかを描くのが精いっぱいになって、対策を講じる尺が足りないため、小出しに事態が好転するような描き方ができなくて爽快感が得られない。
ガラスの艦隊」は見ていないんで分かんないけど、私がサヴァイブをリタイヤした原因も、結局は毎週毎週主人公たちに困難が降り掛かる展開が続いて、「今週のこの問題は解決したけど、どうせ来週また同じような目に遭うんだよね」と思ってしまった、ってことだと思うんだ。
撒かれた謎をどう回収するのかは平成ライダーの視聴モチだけど、回収の予想が立たないままに次の謎を撒かれたんじゃ、面白い納め方は期待できなくなるよ。
Sh15uya」もVol.2辺りはすごい面白かったけど、この人出された設定を使ってはなしを広げる起承転結の承に当たる部分が上手い。剣のキャラの立たせ方も作った井上さんより面白かったくらいだし、言ってみればとりあえず面白くするために、転を書かずにダラダラ承を続けたのがまずかったってことじゃないのかな。
脚本家の色ってこだわるところに出ると思うんだけど、米ちゃんの場合それは“キャラの性格”で、「この人はこんな人」というのにこだわり過ぎるからどうしても転の部分が唐突になり、そこが納得できないから結も弱くなる。勢いでふだんやらないことをやらかしちゃうのも人間なんだけど、本人もそういう、勢いでやらかしちゃうことはないタイプに見えるからしょうがないのかもなー。
余談ながら、井上さんはわりと視聴者がなにを求めているか、みたいなところで、番組として見せ場を作る、みたいなのがこだわりに見えるから、世間の評価よりも理論派で空気読む人だと思う。
「井上がキャラをいじったせいで米村が辛くなった」というのは違うと思うよ。
もともといじられて困るほどはっきり描写されたキャラもいなかったし、むしろ転にあたるエリアXとひよりの正体を井上さんに丸投げして、それを受けて動揺する天道を描く方が米ちゃんの味が出たと私は思う。
井上さんはカブトに関してはかなり引いたポジションで書いている気がして、それは公式にある「天道=井上」みたいな持ち上げエピソードも無関係ではない気がしちゃうんだよね。響鬼ほど危機的事態に至らなかったせいで、対策が遅れたのもあると思うけど。

東映の「シャンゼリオン・メモリアル」にある伸ちゃんと武部Pのうらばなしに、「二人の出したプロットを井上さんが呑み屋でまとめたらどんどん面白くなった。私たちは才能がないってことだw」ってはなしがあって、でもそもそもプロデューサーの仕事はアイデアを出すことであって、それを形にするのは脚本家の仕事だと思うんだ。それができる人を連れてくること自体がPの仕事なんだから、伸ちゃんの責任なのはもちろんだけどね。
つーかシャンゼリオンのDVDが出た頃の萩野さんと伸ちゃんの対談に「井上さんとは暴走の方向を相談できる」みたいなはなしがあって、カブトに関しては伸ちゃんの暴走方向をかじ取りできる人がいなかったのかなあ、という気はしている。
でも文芸的な意味での落としどころを間違えたかな、という判断をした時に、ストーリーとしての整合性を二の次にしても1話ごとの面白さを優先したり、キャラクターにおいしい動きをしてもらうというのは、ライダー枠のPの判断として間違いでもないと思うんだな。最低限の落としどころは押さえてもらえそうだし。
それが信者の擁護に聞こえるならスマンけど。
白倉井上アンチのいう「555はグダグダ」の根拠となる流星塾の謎とかも私は補完ファイルかなんかで読んだ覚えあるし、その辺は「入れてもつまらないから面白いイベントを優先した」ってことだと思うし、実際リアルタイム視聴しててそんなの謎解きされてもつまんなかったと思うもん。
全体の整合性も大事だけど、毎週の盛り上がりも同じくらい大事でしょう、それは。

で、この辺はカブトがどうこうという以前に伸ちゃんの作家性の印象論だから電波でごめんなさい、って感じだが、感触としてカブトは伸ちゃんが大人目線の主人公を描こうとして手に余った結果いつもの主人公に戻っちゃった、って感じがしている。
この人の主人公モチーフはあくまでも子供で、それは物書きを生業とするわけでない人が描写のひながたを作る以上、この人の発言やテキストからうかがえる、カシコイんだけどなんか子供っぽい人間性からしたら当然のことだと思うんだ。
大人っていうのは子供よりものの分かった人のことで、しょせん分からないものを魅力的に描ける人はいないんだよ。
もちろん分かる人がブレインにつけば別だけどね。

まあライダーシリーズとしてカブトを見れば、「私の好みじゃなかった」というのは確かだけど、じゃあつまらないかと言われればそれなりに楽しんでるし、某所のどこかのスレッドで見たけど、「100点取ってたやつが80点取っても、勉強ができることには変わりない」というのは真理だと思う。
願わくば来年はもっと私好みのはなしを、と、視聴者の勝手を申し上げるのみです。