仮面ライダーカブト/第44話「生きるとは」

すごいな、ひより。おまえオニだよ。

ダーク天道にしたらひよりはただひとつの執着であると共に、何年かは分かんないけどZECTの拘束から救ってくれた相手(事実はたまたまでしかなかったとしても、タイミング的に理屈じゃなくそう刷り込まれていて不思議じゃない)なんだから実体がなんだったとしてもその愛情に嘘はないはず。孤独に生きてきたひよりにとっても、自分に愛情を向けてくれていると思っていた(思っていなかったとは言わせない。ひより自身が兄の存在の可能性を知らなかった以上、自分が好意を持っている相手が自分を特別に扱っていれば、相手も好意があると思うのが自然だ)天道の動機が妹だからと知った時に、同時に自分はワームであると知ればその妥当性そのもの(ワームである自分はほんとに天道の妹だといえるのか)が信じられないだろうし、この世に居場所を失った時に嘘のない愛情を向けてくれる相手がいることは確実にひとつの救いだったはず。ダーク天道は「兄として」と言ったけど、そもそも“兄”であることが意味があったわけでないひよりにしたら、あの明らかに子供なみの自我しか持たないダーク天道の愛情は弟や子供が姉や母親に向けるものにしか見えなかっただろうし、ほだされた気持ちは一種母性的なものだったと思うのだ。*1たとえそこに「自分はワームだから」という自己欺瞞の要素があったとしても。

それなのに天道が迎えにきて説得されたら、振り返りもせずにそっちに行っちゃうの? ひよりが悪いことしてないとしたら、ダーク天道はなんか悪いことした? ひよりのためにカブトを倒しにきたのが悪いというなら、それは天道がやろうとしたことじゃん。その気持ちが誰よりも分かるのは天道自身だろう。

相変わらず結論に至る筋道以外には目もくれない米村節炸裂。せめて天道のバイクを降りて戦いに送り出すひよりに、「あいつはあのままで良いのかな」と一言呟かせることはできなかったのか。今週の展開を見る限り、ダーク天道が世界を壊してやりたいと思う気持ちはそりゃ当然。ダーク天道の闇落ちはおまえのせいだよ、ひより。
これはひよりの描写に対してだけど、結局天道の正義の揺らぎのなさも子供っぽい目配りのなさからできてるようにしか見えないんだよな。多元的にキャラクターの気持ちを探る描写のない米村脚本と、俺様主人公が奏でる見事なパーフェクトハーモニー。昨日久々にCAST OFFの水嶋インタビュー読んでたんだけど、初期のインタビューにはそういう天道の内面を探る発言もあったけど、最終回目前の現状を見るに結局米村脚本の無神経さの印象の方が目に付くなあ。
そこのシーンに至るまでがよく出来ていて、「ああ。米ちゃんはお片付けはなんて上手にするんだろう」と感動すらあっただけにあのオチにボーゼン。この見るものの気持ちへの配慮がスコーンと抜けた作家性はどこからくるんだろう。

内容自体はすごい面白かったです。戦闘シーンも多かったし、クロックアップもない単純な肉弾戦だったけど戦い全てがストーリーに絡んでたせいでむしろ単純な方が燃えた。
影ちゃんはなー。すごいよ、影ちゃん。この1週間の影山スレ住人のにーさんたちの心痛と決意を嘲笑うかのような見事な影山っぷり。ザビーゼクターを手に入れると同時にシャドウ影山仕様に着替え、乃木に戦いを挑むもあっさりボコられて臆面もなく兄貴に仇討ちを頼む姿に清々しさすら覚えたわ。変身解除してザビーゼクターに「待ってくれ」というシーン、イヤイヤするザビーゼクターが可愛いv。

今週の感想書いてて思ったけど、ダーク天道とひよりの関係ってはっきり地獄兄弟の描写とかぶるんだよな。<この2人の関係って少なくともダーク天道からひよりへの気持ちみたいに嘘のないものには見えないから、私は地獄兄弟って呼び方あまりしないんだけどここはあえてw。
今週序盤で影ちゃんを締め上げるとかでなくあえて「蹴る」矢車さんに息を呑んだけど、つきまとうザビーゼクターを追い払って、乃木を倒しにカブタックと共闘しにくる矢車さんはそのまま脚本の描写を見れば「そこまで影ちゃんに思い入れありますかよ」という萎えポイントなんだけど、徳山内山コンビの過去を含めた健闘により腹が立つのについ許してしまう矢車さんの甘やかしぶりに萌えてしまったよ。腐っててごめん(笑。
身を挺して岬を守るぼっちゃまにはちょっと感動したが、あなたが押さえていたら岬は逃げられません。一緒にやられたらどうするんだとw。
やたら「絆」を口にする加賀美には「そんなもんあたしにもわかんねーよ」と突っ込みたい気分になったけど、基本的に米ちゃんって力はあるんだよな。もうちょっと神経の細かい突っ込みを入れる人が傍にいればもっと良いもの書けると思うんだけどなあ。

*1:だから天道が戦おうとした時、言葉でなく立ちふさがってかばったんだろう。