擬態天道は可哀想じゃないか

「いい加減しつこい!」と言われそうですがw。

いやもうひよりの行動の是非はどうでも良いんです。その辺は物語の中でなにか語るだろうし、これは44話のひよりの行動ですっかりふっ飛んだ柴崎監督に関するエントリ。

43話の感想で拒否反応示していますが、そっちで感じた傾向は44話ではまったく感じませんでした。つーか、脚本も演出もすごく面白くてのめり込んで見ていたからこそひよりのあれで、水ぶっかけられたみたいにショック受けたわけで。だからこそ「擬態天道可哀想。ひよりひどい!」と感じたこれは制作者の狙いとして間違ってないんじゃないかと今は思うわけです。
だって「擬態天道のあれはエゴだもんね。ひよりが戻るのは当然だよ」と思わせる演出なんか簡単だもの。擬態天道の演技をもうちょっとだだこねてる感じにして、ひよりが逡巡する様子を見せるだけで、ここまでの拒否反応は出なかったはず。だって擬態天道って、そもそもそこまで同情されるほど描写されてるキャラじゃないんだもん。それがああいう風に見えたってことは、あのひよりの反応も擬態天道の可哀想さも、今後の展開に絡めて柴崎監督がそう見えるように演出したってことだと思うの。だって擬態天道をワームの方につかせるにしても“子供のわがまま”って風にしておいた方が見え方として穏便だし、それでなくても影の薄いヒロインに汚れに見えるポジションを振る必要はないんだから。
だからこそ、あそこで「擬態天道が可哀想に見えること、ひよりがひどく見えること」にはそれ自体意味があったのだろうと私は今は思っているなあ。ま、だとしても私は米ちゃんの「そこまで嫌なはなしにするところ」は好きじゃないんだけど。
(「Sh15uya」くらい短いはなしでなら、その「嫌なはなし」から逃れられないこと自体が切なく見えてけっこう好きだったけどね。)
次回は敏樹さんなのでまだ結論は出ないだろうけど(自キャラの行動すら勢いで流す敏樹さんが、人のキャラの行動の説明なんかすると思えん。あ。これけなしてるわけじゃないんで)、擬態天道の存在自体を前に言ってた視野の狭い欲望の固まりとして、自分自身が擬態天道と同じようにひよりしか見ていなかった天道が決着つけるために、擬態天道が可哀想に見える描写をしたんじゃないでしょうか。
(関係ないけど、天道vs擬態天道の構図はクウガのダグバをオダギリにして欲しかったなあ、と思っていた私にはビミョーにおいしいですw。)
しかしここにきて学校の怪談ラストの天道のモノローグが「二人の妹だけは俺が守る」だったことがとても気になる。あまり意味なく、“樹花が危険にさらされたエピソード”のシメとして失踪中のひよりのことも絡めたのだろうと思ってたけど(それにしたってずいぶんなはなしだと思うが)、ほんとにあの時点では“二人の妹”しか頭になかったんだろうか……orz。