おまえの言うことは正しい。だが

物語も終盤にきて最近の展開を見て、今さらのように気になるのが最初の頃の天道が外人客に水をかけたエピ。当時から賛否両論あって、私としてはその行動の是非よりもそれが脚本的にどういう意図だったのか(単に天道の正しさを表すつもりだったのがさじ加減を間違えて退く人がいるようなものになったのか、もともと「正しいけどそれはちょっと」と退かせるつもりだったのか)の方が気になってしょうがない、というエピだったんですが、あれはやっぱり退かせるつもりだったんじゃないのかなあ、と思う今日この頃。
番組が始まった頃のエントリで語ってますが、伸ちゃんが番組のコンセプトイメージとしてゼクトルーパー従えたカブトが「俺が正義」と謳った絵を出してきたら、それは「“正しい”ってナニ?」というはなしにするつもりなんだと思ったんですよ。で、番組終盤にきてカブトを見ていると、やっぱり「“正しい”ってナニ?」と思うんですね。私は。
今回剣が自分の正体を知って、たとえそれが自分自身であろうと姉を殺したワームは許せない。すべてのワームを道連れに自分自身も断罪することこそ剣のノブレス・オブリージュだ、というのは全くそうだと思うし、それこそがもっとも剣らしい幕引きであり剣自身にも幸せだ、というのは私もそうだと思うんです。自分自身が自分の最も憎む仇であると知りながら、生き続けることは誰よりも剣にとって苦痛だと。
ただこの場合の「実は殺した本人であって、もともとの神代剣ではない」という特殊なこの番組の設定を省いて、「姉を殺した過去を思い出してしまった」はなしと見るなら、むしろ直ちに「死んで償え」とはならずに「生き続けることこそが償い」という方が……なんて言うんだろ。お説教的な言い分としては一般的なんじゃないでしょうか。
だからこの番組でなら生き延びエンドも有りかとは思ってたんだけど、剣の幸せを優先してくれたこと自体は私はうれしい。
某所で「信念の人天道、理想の人加賀美、信念も理想もなくても強かささえあれば生きていけると体現する影山」というのを見たんですが、ワームであっても剣なら大丈夫だ、という加賀美の言い分が理想なんだよね。そんなものは本人には多大な負担となる絵空事だという意味も含めて。
ぼっちゃまは天道と同じ信念の人で、だからこそ天道が倒してやったんだと思うけど、その辺ラストエピで「信念のための行動はどこまで許されるか」みたいに絡めてくるのかなあ、と。もう一人の天道だからこそ天道には違うことをさせるんじゃないかな、というかそうであって欲しいというか。
だってここまで見てきて、やっぱ私には天道の正しさってなんか納得行かないし、それはそう見えるように描かれてるんだとしか思えないんだもん。