The Masked Rider Kabuto

で。総合感想というか総合不満というか。
思えば例の「俺が正義」に( ゚д゚)ポカーンとしたままに第1話の放送を迎え、「おにいちゃんの言うことが間違ってたことはないものねー」という樹花の台詞に続いた天道の憂い顔を見て「これは“間違うはずのない人”のはなしなんだろうか。“俺は間違わない人なんかじゃないぞ”というはなしなんだろうか」と思ったあの日から約1年。結局最後までどっちか分かんなかったよ。今週に至っても天道が「俺が間違っていた」とか言うんじゃないかという気持ちが捨てきれなかったもん。
天道のキャラ自体は嫌いじゃなかったけど最後まで正義には見えなかった。そもそも正義って前提でしょ? 別に主張しなくても人間を殺す怪人と戦う一般市民が悪い人なわけなくて、仮面ライダーの主人公が正義の味方に見えないはずがない。はずがないのに「見えちゃうのがやだなあ」とあの手この手で惑わせてきたのが平成ライダーで、だから誰も「世界を守る」なんて言わなかったけど、「じゃあ頼まれもしないのに戦ってくれる気持ちって正義感じゃなかったらなんていうんですか」という点で自然と正義に見えたのが過去作の主人公たちだとしたら、天道は初期段階で“天の道をいく”を謳っていたために過剰に正道を求められていたと思う。
でもどうするのが正しいかは人それぞれだし、すました顔して正義を主張する人間なんて普通にむかつくんだよね。

この前最初からカブト関係のエントリを見直したら、大体の不満は4話以前に言及しててワロた。
ライダー新規参入の米村さんがメインライターとあって脚本に言及することが多かったけど、要は白倉さんのしたいことと見え方がずれてる気がして、そこにむかついていたというか。
必ずしも米ちゃんのせいでない部分もあるんだろうとは思ったけど、どうやって作ってるか分かんない以上、見える部分で語るしかないし。
言葉が過ぎることもあったのは分かってます。反省してますw。

ただワームとかネイティブとかがどういう存在なのか分からなかったのはほんと残念で、知性すらあったのかどうなのか分かんなかったし。
4話で亮が加賀美をワームにしようとするのも、それが一種の殺意のようなものでしかないのか、ほんとに亮の兄への想いを受け継いだからだったのか。
実はワームが人を襲うのは単に本能で居場所を求めるだけで、擬態したその人のそこにいたいという想いを受け継いだだけなのかも、とラスト近くのワーム狩りを見て思ったりしたしさ。
敵がどういうものなのかはいつも曖昧にしか語られないけれど、擬態能力や記憶のコピーが都合の良い設定として使われるだけじゃなく、その本質がどういうものなのかという部分で語りたいことがほんとはあったんじゃないかなあ、と。

で。カブトの中でどういう天道が見たかったかというと私はまるで分からなくって、それは結局白倉さんが天道をどう使いたいのかが分かんなかったってことなんんだけど。
なにをさせたいのかが分からないから「こういうことはして欲しくないなあ」という消去法のビジョンしかないのにまたきっちりして欲しくないことばかりやってくれて(w)。
ひよりが妹だったことで戦う理由が見えたのは個人的には良かったんだけど、あまりにも遅きに失したことを含めてその後の対応が悪過ぎたね。
結果的に「正義を自称する人ってこんなに変」と見せられた気がするのが残念ですw。

天道の本編ラストが加賀見との「仲間と友達」のシーンだったことから考えれば描きたいことのメインは天道と加賀見の関係性の中にあったんだろうけど、私には二人の仲はあまりピンとこなかったのでよく分かんなかった。
最終回の「人は変われる」にしても終始不動で周りを変えようとした天道に言われたくない(番組的にはあの人は天の道を行ってるんだから、「変わる」対象から除外なんだろうけど)っていうのはもちろん、加賀見にしても別に変わらなかったしね。多少の成長はあったとしても。
無駄死に感溢れる擬態天道の最後とか、結局フォローのなかったひよりの擬態天道への想いとか、地獄兄弟の結末みたいなのを大真面目に作る一方で負の感情をわざとごまかすみたいな作劇がところどころにあって、そこを掘り下げることで感情移入させる白倉ライダー路線からしたら、違和感のあるドラマだったかな。

でもなんだかんだ言って毎週楽しかったし、最後まで色々考えさせられました。
今年のライダーもカブト同様、色々楽しめるものにして欲しいです。