主題と描かれた物語

一応今さらですが。

カブトのストーリーだけどさ。テーマがあの「この世界に生きとし生けるもの、すべての命はみな等しい。他者のために自分を変えられるのが人間だ。自分のために世界を変えるんじゃない。自分が変われば、世界が変わる」だったのだとしたら、ストーリーの流れはあきらかに変だったんだよね。あれだと最終的な結論は「倒すべき敵などいない」にならなきゃいけないわけで、それに関しちゃ根岸とまーくんが「そんな世界は必要ない。ましてや人間など必要ない」と言っちゃってるんで倒さなきゃならないのは当たり前なんだけど、それにしたってそこに至る流れが変なんだよ。
ワームという「姿を変えられる」存在を敵として持ってきた時点で落としどころがこれなのは最初からの予定だったのは分かるんだけど、ひよりをワームに設定したことからいっても、後から出てきたネイティブを「こいつらは人殺しませんから」って有耶無耶に共存エンドにするんじゃなく、ちゃんとワームとの共存に持っていくべきだったと思うんだ。そもそも最終回で根岸がいきなり「確かにワームは侵略者だ。しかし人間には彼らと共存する気がまったくなかった」とか言い出すけど、人間はあんたらが言うまでワームの存在なんか知らなかったし、ワームと戦ってたZECTは、あんたらが戦えっつーから戦ってたんじゃん。根岸の理屈が人間をネイティブにする屁理屈なんだとしても、ワームと主要キャラの間だけでも「ワームが人間に共存を拒まれる」エピソードがないとこの台詞は成立しないし、むしろそれはちゃんと描いて、「だからこそ自分達は相手が誰だろうと関係なく、人間のままで彼等と共存していくんだ」というライダーサイドの決意を描かないと、ライダーの勝利が正しいものに見えない。
で。実は1回だけあったんだよね。ワームが拒まれるはなし。

亮のエピでは亮が加賀美をワームにしようとするのは亮自身の気持ちだったという感想がけっこうあって、あの時点ではそういう“敵自体との和解”っていうのは伸ちゃんの芸風と違う気がして「いやー。普通に殺して仲間を増やそうとしただけでしょ」と思ったんだけど、亮ワームのメンタリティが亮オリジナルのものだとしたら、「人間のままだと色々ひっかることもあるだろうけど、にいちゃんもワームになっちゃえば、なにも気にせず仲良くやっていけるよ」という理屈は理にかなってるんだよね。もちろん加賀美にしたら「はいそうですね」と殺されるわけにはいかないんだけど、その後も剣とかマコトワームのエピとかでワームにもオリジナルのものに過ぎなくても心はあると描かれている以上、亮ワームのエピもあそこで殺して終わりにするべきじゃなかったと思うんだ。
ほんとなら、加賀美にとって亮の死はずっと心を離れないものでないといけないわけで、一応剣に弟を殺されたと話したりしてるからもちろん覚えてるんだろうけど、米ちゃんの方はけっこう忘れてたんじゃないかって感触あるんだよね*1
マコトワームの時も、ムーンボウを見たいという気持ちがマコトオリジナルのものだと思うなら亮ワームの言葉もどこかにほんとの気持ちがあったと思って良いわけで、そこですぐにワームと共存という風にはいかなくても、徐々にそっちに考えを変えていって良かったというか、あれを落としどころにするならそうでないといけないと思う。そこんところで作りがまずいなあ、と思うのは、基本的に加賀美と天道すら「友達じゃない」せいで、心の中をぽろっとこぼすような場面がどこにも作れない。

31話の感想で「ワームであることを忘れてるひよりや剣みたいなキャラを描くには、カブトの善悪は二元論過ぎる」と書いたけど、カブトってあそこまでシリアスに描かずに、戦隊とかセイザーXみたいなノリで良かったと思うんだよね。あとやっぱり天道をデウス・エクス・マキナとして描くには、加賀美が最初から最後まで対等目線であり過ぎた。「俺はおまえを超えてやる」と宣言する前に事態が天道の言った通りになる様子を見せて、加賀美に「おまえは何者なんだ」と言わせるべきだったよ。天道の人間味を示す樹花の存在もあって、思い込みが激しくてデンパなただの人にしか見えなかったし、まあその辺は伸ちゃんのドラマセンスの問題だと思うけどな。<暴言
米ちゃん的には東京タワーのチューリップの電飾のはなしが「天道にできないことはない」と見せたエピだったんだと思うけど、あのはなしはひよりの方に「最初のデートをすっぽかされる」という変に卑近なドラマを作っちゃったせいで、見ている方は「できないことがないならZECTをなんとかしてデートに行けよ」と思ってしまって、「東京タワーのイルミネーションなんかできるの? 天道って金持ち?」みたいな見え方になってたしさ。

実はこのエントリは書きかけたまま、特ニューに米ちゃんのインタが載っていると聞いて止まってたんだけど、今日ようやく読めたけどどうってことなかったな。ほぼ予想どおりの内容だったしひっかかるところもなかった理由は、ひとつにはいかに私がカブトのストーリーをどうでも良いと思ってたかってことだと思うんだけど(w)米ちゃんのテンション含めてほぼ予想どおりでした。迷走しなくても大好きなライダーにはならなかったと思う(笑。
米ちゃんってたぶんキャラを不幸にするのが平気な人で、それは基本的に「悲劇の方が美しい」って価値観だからなんじゃないかなと思う。カブトは「絶望の中の希望」を描きたかったってはなしだけど、米ちゃんって砂漠の中に一輪の花が咲いているのを遠ーーーいとこから撮っていって、最後に花が咲いているのに気付く、っていうのが美しいと思う美意識の人だと思うんだけど、それはやはり仮面ライダーカタルシスにはならんのよ。嫌いじゃないけど、それは私がライダーに求めるものじゃないの。
カブトの致命傷とされる天道の揺らぎにしても、ひより絡みでヒャビョっても良かったんじゃないかと思うんだ、私は。その後で「天道はやっぱりすごい」とか「こんな良いやつだったんだ」が描かれればね。
でも実際にはそういう爽快なシーンは一切なく、気が付けば天道は日の出を拝んで天の道を見極めるんだけどさ。感想でしつこく言ってたけど、天道がひよりをもうけしてひとりにさせないと思ってる様子は樹花や弓子さん使って見せて欲しかったよ。しかも自分で「田所さんはZECTでワームの残党と戦っている」世界をイメージしておいて、そこにひよりを置いていくってどーいうこと?
自分の同族(もともと人間のつもりだったひよりが、ネイティブとワームを区別して認識できるとは思えん)が殺されたり迫害されたりする世界で、人として生きていくのがつらくないわけないじゃん。天道が装置であるということも含めて、どういう構造のはなしを書くつもりでも、実際の見え方に対する神経が回らないところが記号的だっていうんであって、ほんとそこには自覚的になって欲しいと切願してしまう。

その一方で、どうせならこっちをもっと鬱展開にすれば良かったと思うのがワーム関係で、ネイティブもワームも、本当はただこの世界に居場所が欲しかっただけなのに人間がワームを受け入れなかった過去があるために人間を殺して成り代わるようになった。ワームに人を殺させたのはもともと人間の偏狭さなんだ、というふうに最終回で根岸が言ったようなことを実際のドラマで見せておけば、あのテーマで全然納得できるし正直そうするつもりなのかな、と思って見ていたんだよね。別にワームだから悪かったわけじゃない、と。
日下部父がワームの意識に勝った設定を見せておけばワームの存在ももっと深いものになったと思うし、剣の退場が1か月早ければそういうことを考えるドラマも作れたと思うんだ。
そして三島をラスボスにするのなら、三島を世界から拒まれていると感じている“人間”としてちゃんと描いておけば、あの二人が「人間もワームも関係ない」と天道に諭される最終回も説得力あったと思うんだよ。
テーマがあれだと言うのなら、最終回で根岸と炎の中に消えるのはなにも悪いことをしていない擬態天道じゃなく、プリンスハイネルみたいに悔恨の涙を流す三島であるべきだと私は思う。

まあそんなのは全部私好みの俺カブトに過ぎないとは思いますがね。ちゃんとテーマにそった展開をしていたら地獄兄弟なんか出る幕なかったと思うしさw。

*1:陸にボールを投げる時のミットとか、覚えてたら亮の名前を書くのが普通の作劇センスだと思う