良太郎という存在

カードが出そろってみればテレビ本編見ているだけでもはなしは分かるよね、という感じだった今週の牙王問題解決編ですが。

今週モモ以外のタロズが消えてしまうと聞いた良太郎がトレーニングに行ったのはなぜかっていう感想をけっこう見たけど、私はあれはデンライナーの中でタロズが消えてしまうのを見ていられなくて逃げ出したんだと思う。タロズが消えてしまうのは自分が忘れてしまったせいだけど、忘れたくないのに忘れてしまうこともあることは映画版で描かれたタロズに出会う前の良太郎がすでに知っている。だからあそこの良太郎が自分を責めていたとしたら、それはなによりも自分がタロズがいなければと思ったこともある、リュータの言葉が図星だからだ。そういう意味でいうなら、良太郎にとっては一番手に負えず、気持ちの繋がりの薄いリュータがあの言葉を言ったのは子供故の無邪気さばかりではないのかも知れない。トレーニング自体はリストラ騒ぎの時にタロズを追い出そうとするハナの気持ちをよそに良太郎がタロズと繋がっているためにしたことだけど、デンライナー以外の場所で良太郎が気を紛らせるためにすることなんて、タロズとの戦いのために始めたトレーニングぐらいしかないっていうはなしなんだと思う。
映画版のタケるんを見て感心するのはあそこで描かれたモモたちとの記憶を失った良太郎が、タロズと共に覚悟を決めて戦ってきた良太郎でなく、両親の記憶もろくになく、家族同然だった桜井侑斗をわけも分からないままに失って、その記憶を語る相手もない不運な少年に過ぎないことだ。電王が始まった頃、いくら最弱主人公といっても「高校生ですらない家事手伝いのプー太郎? 仮面ライダーがここまでなにものでもない存在で良いの?」と思ったんだが*1、記憶が存在のよりどころである電王の物語の中では記憶を語る相手を持たない良太郎の存在も、イマジンなみに不安定なものだといえるのだろう。*2
タロズが憑いていたってろくなことはないけど、タロズと共に過ごしてきた時間が良太郎にとって意味がないはずがない。テレビの前の私たちが泣きながら笑いながら見守ってきたこの物語が、良太郎にとって大切でないはずがないのだ。

大切な思い出も離れてしまえば消えてしまうものなのだということを良太郎は知っている。だから良太郎はウラたちと“繋がっていたい”という思いを形(ケータロス)に残したのだ。映画版の小太郎がデンライナーの窓から見た家族の姿を絵に残したように。

このエントリは「日々之ネタ帳」のsimonさんの劇場版感想のコメ欄で言ったことをまとめたものです。そこで言っていたことにかぶるのだけど、電王というのは良太郎というなにものでもない少年が、自分の居場所を見つけるはなしなのかも、と思うわけです。

*1:もっともこの条件自体は前年の主人公も一緒だったんだけどねw。

*2:そう思えば#1で描かれたミルクディッパーにおける良太郎の存在が、「愛理さんの弟」でしかないのも秀逸だよなあ。