番組を見るということ

うちのメインコンテンツは仮面ライダーなどテレビ番組の感想なので、それが本来一般大衆に向けた娯楽として作られるものなのだということは常に頭に置いている。
2年以上伸ちゃん萌えでライダーの感想書いてるくらいだから自分本来の好みは王道をちょっと茶化した歪なものだって自覚はあるけど、世間なんかどうだって良いから私の好みのものを作れという気はないし、むしろ大衆娯楽という制約の中でちょっとななめな価値観のツボを押すようなのが娯楽作品としては美しいんじゃないかと思ってる。もっとも私がちょうど良いバランスだと思う作品は、たいてい視聴率不振を噂されてるけどなw。
テレビ番組である以上制作には予算とか放送コードの問題もついて回るし、視聴率不振や現場のトラブルでカラーの修正を迫られることもあるだろう。脚本家の調子が悪いことだってあるだろうし、毎回満足の行くものを見せてもらえるとは限らない。そういう満足度の低さは感想書いてればどうしても触れちゃうけど、自分として“好きな番組”であれば視聴モチに直結とかはしない。制作条件を言い訳にされるのは嫌だけど、大人なんだから見えるものは見えるものとして適宜修正なり補正なりかけ、それで好きか嫌いかは自分次第で良いと思うのさ。
ただ人情として好きな人には応えて欲しいというのはあるから、良いもの見せてもらえば「見ていて良かった」と思うし、どうにも納得のいかないものが続けばがっかりもする。場合によってはここでクダ巻くこともあるよ。満足いくものを残せなかった悔しさは見ているだけのこっちより作ってるあっちの方が上だと思うから本人つかまえて罵倒しようとも思わないけど、キャストでもスタッフでも、見る側の期待や思い入れを背負うのは仕事する以上当然じゃんと思うもん。それが嫌なら人前に出る仕事なんかすんなってはなしだよね。
響鬼の最終回の時に高寺さんに恨み言書いたけど、そんなもん「高寺プロデュースの響鬼を最後まで見たかった」って期待に応えられなかったのは高寺さんなんだから、文句が高寺さんに行くのは当たり前だろ?って思うんだよね。もちろん本人だって好きでプロデューサー降りたわけじゃないのは分かってるさ。でも時間とか制作費とかのいろんなもんで無理をした結果番組がパンク寸前までいって、「自分が作りたかったのはこういうのですから残りは想像してください」って言われたって知らんと思うんだよ。残りを想像できるか否かじゃなくて、自分の想像を超えたプロの仕事を形にするのがプロデューサーの仕事じゃん。なかなか他にないくらい分かりやすい例だからこれを引き合いに出してるけど今さら高寺さんを叩きたいわけじゃなく、「自分にどれだけのことができるか」を見極めて、全体のクオリティ下げても完走できなかったらプロじゃないと思うんだよね。仕事し過ぎて倒れた明日夢のとーちゃんが部下に慕われてるのが美談になるのはドラマの嘘で、無理して倒れる人なんて偉くもなんともないんだよ。倒れないで済むように状況を整えて、自分で完走できる人が偉いんだ。
こんな世の中だから放送中でも終わった後でもいろんな裏事情は入ってくるけど、あの時は役者がどうとか脚本家がどうとか言われたって、それで「なるほど」とは思っても、見せられたものが変わるわけじゃないんだよね。カブトの頃に「最初から作り直すなら」ってはなしをよくしたけど、出来上がったものが不満だからって作り直しなんかできるわけない。今作っているこのドラマを作る機会は一度きりで、「ここからはなしが変になったんで、これはなしにして作り直します」なんてわけにはいかんのだ。
いま見ているこの番組を作ってもらう機会は一度しかないんだよね。だから作る方もほんと、私たちにこの番組を見せる機会は一度しかないんだってことを忘れないで欲しいと思うんだ。