30話の困った男たち

今さらなネタだけどメモ程度に。

今週に限らず電王のはなしが面白くないのは良太郎が立っていない時というとっても分かりやすい私ですが(w)、今回のはなしは予告の段階でちょっと「え?」って感じがあって、それがなにかというと「良太郎って愛理とけんかすんの?」ってことだったわけです。
劇場版が残した最大の謎というのが私にはあって、写真をなくしたことで愛理を泣かせてしまったという良太郎はちゃんとその件で愛理に謝ってるのかということなんですよ。
もちろんなくした時に謝っているだろうし、愛理だっていつまでも怒ってはいないでしょう。でも泣かれたことに反射的に謝るとか、仕方のないことだからと日常に戻るとかって、謝って許してもらうとかとは違いますよね。
“問題に解決がついている”と言い換えた方が分かりやすいのかも知れませんが。

初回から良太郎の態度には愛理に対する遠慮とか踏み込めない感じが描かれていて良太郎のキャラを分かりづらくしてたと思うんですが、その辺って桜井侑斗の件で愛理の悲しみの深さを理解しきれてなかった自責の念が関係してるんだろうなと思っていて、だから逆になんで今回珍しくこじれているのかという理由が「はなしの都合」以外に思い付けなくて納得いかなかったんですよ。過去の描写を見ても、良太郎って愛理の天然がはた迷惑なことがあるものなのを分かって自分に関しては我慢してたし。今週のはなしが良太郎とデネブと契約者寺崎の問題を描いてるっていうのは分かるんだけど、良太郎の愛理への気持ちは寺崎やデネブほどまっすぐじゃないんじゃないのかっていう引っかかりが前提としてあって、だから今週のはなしを見ても、デネブと寺崎はともかく良太郎の問題が同じところにある気はしなかったんですね。
それがkorohitiさんの感想読んで「ああ」と思ったんだけど、寺崎の問題がkorohitiさんや私たち大人の視聴者にとって「デネブや良太郎とは違う」のは良太郎とデネブの問題は当事者同士の気持ちの問題でしかないけど、寺崎の奥さんが生まれたばかりの子供を育てるための生活費という「気持ちだけではどうにもならない」問題を口に出してるせいですね。
その部分を想像できてしまう大人にしたら寺崎の人間性はやっぱ許せないんですが(ちゃぶ台引っくり返してるしねえ(-_-;)、結末で奥さんが寺崎を許している以上これはやっぱりデネブや良太郎と同じように気持ちの問題なんです。
で、寺崎は「男の俺が謝れるか」と言っているけど、本心から自分が悪くないと思っているわけじゃないと思うんです。
自分が悪いのは分かっているけど花火職人の夢はあきらめられない。だから俺が悪いんだけどお前だけは俺を許してくれ、っていうのが寺崎の本心だと思うんです。でもってデネブの問題というのは、大切なカードを無駄にさせた自分が侑斗に許してくれとは言えないってこと。ただこれは本質的には、侑斗の方から許してほしいという意味に他ならないんですけど(-_-;。で、この辺から逆算したら、今週の良太郎がいつものように愛理を許せなかったのは愛理の方でも怒ってたから。愛理には自分を許していて欲しかったからってことだと思うんです。
良太郎が寺崎に対して「言葉にしなくても」って言葉を使うわけですが、今週に限らず電王って、気持ちのすべてを言葉にできない人のはなしだから、言葉をそのまま受け止めていたんじゃかえって分かりづらくなると思うんですね。とは思いつつ。
電王の曖昧さを肯定すべきものと力説してきた私ですが、時々「誘い受けじゃんこれ(^_^;」と思ってしまうのも事実だ……w。