とことん石ノ森章太郎

終わってみて残しておく気でいるのは、初日の仮面ライダーと2日目のキカイダー、7日目の平成ライダー
私には東映特撮あっての石ノ森だと悟りました。でも1号はほとんど記憶にないし、V3で見なくなった記憶もある。アマゾンはなんか覚えてるけどそこまでだな。
キカイダーが好きだったのは記憶にあるけどたぶんそれは01なんだろうと思うのは、01の主題歌をはっきり覚えてるせいねw。
基本的には面白い番組だったけど不満は最終日に集約されるのは私がシラクライストだからっす。
まあ平成ライダー側に当たり障りなく宮内氏を立てつつ最低限の抗弁はできる半田君という人材がいたのはラッキーだと思うけど、単純に考えて製作はひとむかし以上前ですべてを黎明期の苦労ばなしとして語ることを許された昭和ライダー関係者と、現在もシリーズ製作が続行中で本人は中堅にすら届いていない新人俳優というポジションの平成ライダー関係者が同じレベルで番組を語るわけにいかないのは分かりきったはなしでさ。
番組としてNHK平成ライダーをプッシュする義理は確かにないんだけど、持ってきた以上落としどころは「こんなに変わった」っか「変わったように見えるけど実はそんなに変わっていない」しかないわけじゃん? そこのところで番組の作りが「こんなに変わった」に振れてるわけだけど、だったら最初から石ノ森特集の一環として扱う必要なかったと思うんだ。
たとえば電王だったら番組で紹介された不良にやられる瞬間モモが憑いて豹変、戦いが終わったところで「怖かった……」とへたりこむ、なんてのは変化としてのアピールポイントではあっても、事実として電王ってそういうはなしじゃないじゃん? いじめられっこが他人の力で強くなれたらと思ってるなんて、電王がいつそんなはなししたよ。伝説の4話を撮ったあんたが、寝ぼけたこと言ってないでよおじいちゃん。
インタビューなんてなにしゃべったって番組の都合のいいところしかつままないんだけど、あれはさすがに頭にきたよ。

平成ライダーはそもそも「継ぐのは魂」の精神なわけで、パッケージは時代を映して変わっても、番組の芯にあるのは他人のために命がけで戦える人間とはどんなもんかっていう変わらないもんだと思うんだね。1年通して龍騎を見てああいう番組だと思う人はいないと思うし、電王を紹介するならつまむところは、それこそ4話の「モモタロスとは戦わない」から「ごめんなさい」のくだりじゃなきゃ嘘だろ、と思うんだ。
週間通して司会だった斉藤アナウンサーがちゃんと番組を見て知っている人だったのがせめてもだったけど、「イメージで平成ライダーを叩く昭和原理主義者って、こういう番組が作るんだろうなあ」というのが感想でした。宮内洋の言うことに賛同するような人に、平成ライダー見て欲しいと思わないから良いけど。

番組自体は面白かったので、これはこれで楽しみましたけどね。