正しい道筋

TVカテゴリにしているけど、文芸作品ってなんでもそうだと思うはなしなんだけどね。
以前伸ちゃんが響鬼に関するインタビューで、「少年の成長を描こうと思ったら、後半の展開は決まってくる」みたいなことを言ってたけどそれはそうだと思うんだ。発言の詳細は今本が手元にないので確認できないけど、特にテレビ番組みたいに放送コードとか社会的影響とかを意識せずには描けない創作物の場合、なにかを描くための物語って、そうそう目新しいものにはならないと思うのね。
うちが伸ちゃん萌えを看板にしたのは過去に何度か書いてるようにカブトが気に入らなかった成り行きなんだけど、作品への介入はほとんど感じなかったから特に言及しなかった去年や番組を離れている今年にしても、伸ちゃんに限らず広い意味での番組制作サイドがどういう意図で番組を作っているかを最初に見るようになったのは完全に伸ちゃん萌えで見ているうちに身についた習い性で、そういう意味ではJUNONみたいな若い子向けの本がPの企画談話を載せてくれたり、公式サイトを見ればPの企画談話くらいは普通に読める今って良い時代だと思うのよ。そういうのを最初から載せないとこもあるけどそれはそれでね。
でさ。今って大体の番組は10回くらいで終わっちゃうし、NHKドラマ8みたいに6回とかで終わっちゃうドラマも珍しくないわけじゃん? そしたら伝えたいことを伝えるためには、寄り道してる暇なんかないと思うのよ。
私は最近のTBSのドラマはすごく良くできてると思ってるんだけど、それって「セーラー服と機関銃」とか「パパとムスメの7日間」辺りからはなしを中心人物に絞ってその人物がどういうドラマを持っているか、という見せ方をしていると思うからなのね。NHKの「バッテリー」とか日テレの「貧乏男子」が良かったと思うのも同じ理由だし、フジの「絶対彼氏」で最初盛り上がってたのもそういう流れになりそうだと思ったから。当ては外れたけどw。
だって私がここで取り上げたドラマを思い出してもさ。ほんの3年くらいしか経ってないのにあの頃のドラマなんて、ほんとはラスト2〜3週で描けるはなしを小ネタで引っ張ってたって気がするもん。要するに毎週人気タレントの顔が見せられれば良いだけで、番組としてなにが伝えたいかっていう意識はすごく薄かったと思うの。
そういう意味では、今ってパッと見で「ツマンネ」と思うはなしでも一応中心人物のドラマくらいは想像できるとは思うんだ。そこは原作付きドラマが多いからっていうのもあるけど、とりあえず最低レベルみたいなもんは底上げされてると思うの。
そんな中で「このドラマのひどさはもう別格だよね」と思うのが「太陽と海の教室」だけどね。今なら主役やっても不思議のない人気もあって演技力の評価も高い若手を10人近く揃えて(メイングループ以外だって、他の枠ならもっと扱い良いだろうってのがゴロゴロいるよなw)その誰一人として単発エピソード程度のドラマしか持っていない。主役の櫻井からしてそうなんだからさ。
そもそも「名門進学校に型破りの教師が赴任してきて」ってはなしなら、「勉強しか知らない子供たちが違う価値観を知る」はなしになるのが当然だと思うんだ。「そんなありきたりのはなし」って言いたいかもしれないけど、そうじゃないなら名門進学校なんて設定いらないでしょ? そんな学校でモデルしてるやらどうやらなんて、小学生レベルの「スゴイカッコヨサ」の描写を設定する時点で「バッカジャネーノ」としか思わないけど、そのスーパーレディがメンヘルの無差別殺人犯(次原がハチにロックオンしたのはハチが気が弱くて断らないと思われただけで、動機があるなら元彼とか裏切った友達に行くでしょ?)になるに至っては狙ってやってるんですか、っていう。いや狙ってるとしたら外し過ぎだけどw。
まあさわやか学園ドラマって触れ込みだったのに人死にどうこう言い出した時点でどうかと思うけど、誰かが死ぬならこのはなしなら大和じゃなきゃ嘘だと思うけどなあ。履修問題と絡めて勉強さえしてたら幸せになれると思ってた大和が卒業できないとなって云々ってはなしなら、ね。
この前「キャット・ストリート」の脚本を「下手」って書いたけど、原作知らないけどこのドラマの設定からしフリースクールに通う引きこもりの子供たちを描くなら、最終的に卒業的な巣立ちを描くにしてもそうじゃなくても、この子たちがここでの出会いによって世界と向き合う強さを身に付ける、ってはなしじゃないと嘘だと思うんだ。このドラマほんとキャストの仕事は良いんだけど、見ていて特に気の毒なのが浩一の勝地君で、ポジション的には恵都に苦言をくれることで世界と向き合う強さを促す役だと思うけど、肝心の浩一の立ち位置がフラフラしてるから絶対こんなやつの言うことが勇気になんかならない、って見えちゃうんだよね。浅野妙子はラスフレ見ても思ったけど、最終的な答えを決める理由が信じられるものに見えないから、ラストで「なんでこうなるの?」としか思えないわけで、そこがもう「下手」としか見えないわけですよ。
誤解や紆余曲折で引っ張らないとドラマが持たないという理屈は分かるよ。キャット・ストリートくらいなら話数的にそれすらいらないと思うけど一応ね。でもさ。最終的な落としどころって、1クールのドラマくらいなら最初から見えてると思うの。だったらそれだけは信じられるものとして、迷う中でも揺るぎなく描かないと嘘だと思うんだー。