Q.E.D. 証明終了/第4回「ブレイク・スルー」

あー。こういうの作るところがこの枠の良いとこっていうか、こういうのが正しい子供向けのドラマだと思うんだー。
もう今週序盤のあまりにも「失踪した恋人を追ってきた」状態のロキに思わず「ちょwww。NHK、ちょっと待てwwwwww」と大笑いしながら見ていましたが(そして今週のはなしはどう見ても、三角関係から身を引いた燈馬をめぐるはなしだったわけですがw)こういう筋立てがどうこうじゃなくて、どこを向いて生きるのかってところを見せるのが子供向けのドラマだと思うんだよー。
ロキとか燈馬とか、特別な才能のある人って人間のその部分しか見てもらえないことが多いけど本人はその部分だけで生きているわけじゃなくて、でもロキが燈馬を求めるのって、自分のその部分に価値を求めているからで、でも燈馬がロキを受け入れたのは、ロキは燈馬を天才だと責めない人間だったからだよね。
燈馬にとって自分が天才なのは事実であって、そこに自我を求めているわけじゃないんだよね。けれど天才に出会った時に自分が天才でないことを気にしないでいられる人って実際には少ないから、燈馬は事実でしかないことを責められ続けることになる。燈馬が天才なのは燈馬のせいじゃないのに。
可奈が燈馬にとって特別なのは、燈馬が天才だってことが可奈にとって事実でしかないからだと思うんだ。事実だから天才だってこと以上の意味をそこに求めずに、「天才だからしょうがないよね」じゃなくて「天才だけどそれはそれでしょ」という態度をとる。そういう心的根拠と関係なく可奈の行動ははた迷惑だからそういう意味でのひき方はするけど、可奈が自分を天才だと責めない人間だってことは、燈馬にとってすごく楽なことなんだと思うんだ。
事実でしかないことを理由に責められ続けると、人間って自分が責められることに納得しちゃうんだよね。自分が責められるのが正解で良いじゃんと思ってしまうんだけどほんとはそんなの正解でもなんでもない。人は答えを求めて答えを出しながら生きるんだけど、自分の出した答えが正しいとは限らない、時には答えを否定されることこそが喜ばしいこともあるわけで。
この枠って番組ごとにできの波はあるけど、基本的にそういう子供の思い込みを肯定的に否定するドラマってことでは一貫してると思うんだ。そこがすごい子供向けのドラマとして正しいと思うわけですよ。まあ私の言葉のすべては、子供なんか適当に駄菓子やっときゃ喜ぶだろと思ってるどっかの枠に向かってるんだけどね。
ドラマで描かれるものなんか、「なにか楽しそう」っていうワクワク感で十分だと思うのにさー。