GOEMON

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前にワタクシDEATH TRANCEのことを絶賛したけど、下村勇二監督に「好きに使って良いよ」って5億円くらいあげたらこれと似たものができてくる気がする。いや紀里谷監督はたぶん絵が欲しい人だからCG使いまくりだけど、下村監督だったらそこまで絵にはこだわんないでアクション方向に行くでしょ。私も絵は良いから生身アクション見たいなあ、と思う方だし、そうすれば15億もかかる映画じゃないと思うんだよね。いや15億かけた甲斐はあるゴージャスな絵は撮れてるんで、これはこれでありだと思いますが。
持って回った言い方ですいませんが好みとしては大好きだし個人的には面白かったです。でもトータルに見た時になんかペラいなー、と思っちゃう部分があって絶賛って気分にならないの。意地悪く言っちゃうと“金のかかった自主制作映画”みたいなw。
これ見る前に超電王見てたんで、あっちが室町でこっちが安土桃山の、似たような時代のトンデモ時代劇かー、と思って見始めましたが、モノとしては見せ方がトンデモなだけで時代劇としては意外と真っ当です。人物配置も人間関係もそうムチャなことは言ってないしw。まあ見方を変えれば斬新なのはビジュアルイメージだけとも言えるんですがw。
ただそのビジュアルイメージは好みにドンピシャなんで個人的にはすげー楽しめました。もう絵だけでウットリなんだよねー。キャストに好みの人はほとんどいないんで、主に衣装と画面処理なんだけどw。
以下ネタバレにつき畳みます。
あ、でもね。導入部いきなり動き出すスリの小平太が深澤嵐(ゲキレッドの少年時代や、ディケイドキバ編のワタルをしてた子役)だったんで、そういう意味ではキャスト萌えで感情移入しやすかった(笑。はなしの大筋は秀吉がかつて信長になした謀略を、信長に恩を受けた者たちが知ってどうするか、ってものなんだけど、結局主人公である五右衛門の行動に芯がないからやってることがカッコよくてもあんまカッコよく見えないんだ。たぶん私が江口洋介嫌いだからっていうのもあるのは否定しないけどw。
ただそれで最後の最後になって、五右衛門の生き方がああだったのは自分には希望がなかったからだ、というのは一応ストーリーが動くきっかけにはなってたと思う。
五右衛門のバックボーンとして滅ぼされた名家の子息だったのは描かれてるので、信長が死んだ後の才蔵との生き方の違いは一応そこにあるのもあるんだろうな。才蔵は死のシーンとかすごいカッコ良くて大沢たかおは良い役だと思います。青年時代@佐藤健は別れのシーンを除けば顔もほとんど分かりませんがビジュアルは完璧に良いです。というか、彼は自分の顔がデコ全開が一番美麗に見えることを自覚した方が良いと思う。あまり役に立たない自覚な気はするけどw。
でもこれは健の演技がどうこうって問題じゃないけど、才蔵のなんとなく情に流されて判断を間違える底の浅さとかそういうのはすごい健の柄にはまってるなあ、と思って見てました。健の才蔵が大沢たかおの才蔵になるのはちょー納得、って感じ。五右衛門は子供時代を演じたのがふたりともすごい美少年で、その点なぜ信長が死んだ時にああいう生き方にシフトしたのかよく分からん感じ。だったら信長と死ねば良かったのにw。←本能寺で信長の傍にいる描写があるんで、森蘭丸=五右衛門かと。
けっこう「なぜここで行動しない?」というのが続いてのラストの展開なので、ラストの説得力は私自身は感じなかった。おはなしとしてはよくできてるなあ、って感じだけど紀里谷監督そんなこと言いたくて作ったわけじゃないでしょ、ってかんじ(θωθ)~* 五右衛門を殺すのが五右衛門の傍を離れた佐助なのは良いけど、なぜあの展開であそこで死なずに茶々の待つ家の側まで戻るw。死のシーンにあの谷の絵が欲しかったんだろうけど、茶々が谷でまってて五右衛門は魂がそこに行くで良いじゃんw。なんかあそこで体をあそこまで行かせちゃう辺り、紀里谷監督ってとことん現実主義なんだろーな、とか思った。海外生活長いと思考までアメリカナイズされるのかしらw。
若干ラストで失速する感はあるけど全体的にはすごい好きな映画です。五右衛門と才蔵が四十路の江口と大沢なのも、なんかビジュアルが衰えた感じの年代になっても惑う男たちのはなしって感じで良かった。この感じは三十路の役者じゃ出なかったと思うw。
要潤はここでも良い仕事してましたw。