赤鼻のセンセイ/#9

http://www.ntv.co.jp/akahana/index.html
ああなんか。比べても(なにと?)仕方ないんだけど「ちゃんとしたはなしだなあ」と……。
だってここしばらくこのドラマって、「和田っちの病気が悪いよー」ってことを言ってるだけなんだよね。院内学級のどうこうとか、もうじき八重っちが進学したら関係ないじゃんと言ったらその通りってはなしだし。
でもたとえおはなしの中の人物でも、その悩みとか夢とかを普通に見守ってきた人間にとって、その命がもう失われようとしているという時に、それでも未来を信じたいとか、友達を失うのが怖いとかいう思いを描くはなしを見て、なにも気持ちが動かないとかないじゃんと思うのよ。つか動くのが当然だと思うけど、そこでなんの感慨も覚えないはなしがなんでこんなに多いのかと。いかに描くべきものをちゃんと描いてないはなしが多いかってことだと思うんだー。
和田っちの病気が悪いのとかこれがはじめてじゃないはずだし、それでも現に今和田っちが生きてる以上治った経過も八重っちは見ているはずなのに、ああいう風に言っちゃうのは和田っちにとっての「いつもと違う」って実感だったり、八重っちが見てもわかる「ずっとつらそう」っていう印象だったりするんだろうけど、実際彼等にできることは信じて戦うってそれだけで、なぜそうするかなんて「生きていたいから」「生きていたいのを知っているから」っていうそれだけでしかないよね。だって死のリスクの大小はあっても、きっと手の届かない“普通の幸せ”を、深く静かに願い続けてきたのは八重っちも同じなはずだもん。
病気の進行という笑えない現実を前に、今こそ求められているのが参太朗のおめでたさで、じゃあ参太朗はどうするんだって言ったら、笑えないとか言ってないで笑いやがれってだけのはなしだもんね。
バカになるのは簡単だけど、バカを貫くのは大変だよね。