mother/#3

http://www.ntv.co.jp/mother/
脚本:坂元裕二 演出:水田伸生
よく分かんないけどテレビドラマで3話まで演出を固定って、相当時間かけて上の方から見せ方を意識した結果じゃないかなあ。なんかそういう、いろんなものを時間をかけて重層的に見せたはなしなのがすごい良い感じ。
今週出色だったのって、アバンでうっかりさん(田中裕子)とのことを言いかけてやめた継美(芦田愛菜)に対する奈緒松雪泰子)の「教えてよ」の言い方でさー。そこですごいこの二人の距離感とか見えたと思ったんだよね。
この二人の逃亡がやっと3日しか経っていないということにちょっとびっくりするんだけど、その間にある種の共犯関係を築いた二人の親しさの一方にある、自分達の関係は自然なものではないという後ろめたさとか、だからこそこの関係を壊すことへの怯えとか、きっと心のどこかにはあるこんなことはいつまでも続かないという予感と、それでも自分はこれをあきらめたりはしないんだ、という意志とかがなんでもないシーンでもずっと匂ってて、絶えず緊張感のあるはなしなのがもうw。
奈緒に会った鈴原の母(高畑淳子)が会うなり奈緒を抱きしめたり、奈緒に会っていた葉菜をいきなりぶったり、なんでこの人が奈緒を引き取ったのか、夫はいないみたいだけど自分の子供を二人も得ても(妹との年齢差からして、生んだのは引き取った後だよねえ?)愛情は変わらない、という見せ方がなんというか、継美を幸せにしたい、という理屈でない衝動を「母親になる」という言葉に変えた奈緒に重なっていて、それでも奈緒は母に捨てられた痛みを忘れることはできなかった、鈴原の母に幸せにしてもらう自分を受け入れることができなかった、という事実がなんだか惨いなあ、と思うよ。
んで継美というか怜南の母親サイドですが、子供を虐待する人間性への不快感は不快感として、怜南の母親・仁美(尾野真千子)とか真人(綾野剛)がどんな人かというのはなんか分かるので、ストレートに怒る気がしない私である。いや友達だったら、あんたしか頼る人がいないんだよ、殴るなんてとんでもないよ、って全力で言いますが。
母性本能は本能じゃなくて社会的幻想だってのはずいぶん前から言われてることで、母親になれない人って普通にいるからさ。夫がいて“家族”という役割の中でなら“母親”の役ができたとしても、そこから離れてしまったら母親のやり方が分からない、という人だっていると思うんだよね。そこで「もうやめたい」と思っても子供を捨てることって難しい−−困ったことに、子供を殴ることより何倍も−−から、いやいや母親をやっている中で子供を不幸にしてしまった時に、自分が子供を不幸にした、ということはやっぱ耐え難いだろうと思うもん。仁美が怖いのは怜南が自殺だとバレることじゃなくて(事実自殺じゃないし)怜南が自分のせいですごく不幸だったと知られること、責められて自分の罪を数えることだと思う。子供が死んだのに男のとこって言われても、それは仕方ないと思うよ。きっとこの人今真人にすがりたくてたまらないと思うもん。
でもきっと、今までさんざん見せてきてバレバレでも、この人真人に子供を死にたくなるほど虐待してた母親だと思われるのはすごい嫌なんだろうと思うしさ。でもそんなこときっと、真人にしたら知ったこっちゃないんだよね。ご愁傷様。
よく考えたらテレビでこれってあり?、みたいな奈緒の回想の長台詞もすごかったし、奈緒の気持ちに関係なく鈴原の妹たちの幸せだからこその優しさは救いだったし、今週も見応えは十分だった。このクオリティに貢献する5才児恐るべし(θωθ)~* あと葉菜が、見かけた新聞記事と継美を繋げて考えるのも、“なんとなく分かる”からなんだろうな。