mother/#5「二人の“母親”」

http://www.ntv.co.jp/mother/
脚本:坂元裕二 演出:水田伸生
今週も見応えは充分だったけど、見終わってイマイチ物足りない気がするのは奈緒松雪泰子)と継美(芦田愛菜)のはなしじゃなかったからかなあ。それはなぜ奈緒はこうなのかというはなしでもあるんだけど、逆にいえば奈緒はほんとに自分の思っている自分なのかっていうはなしでもあるし、別の見方をすれば奈緒が本当の自分の過去に気付くはなしでもあると思うんだ。
私はこのはなしを“母性”のはなしだとはあまり思ってなくて、むしろJUNEだなあ、って思ってるんだ。JUNEって一般的にはBLの別称みたいな認識なんだと思うけど*1、私は自分の存在を肯定できない人が自分と同じだと思う誰かと繋がることで自分を肯定するはなしだと思ってて、このはなしの奈緒の行動って、継美は自分と同じだと思った、ってことだと思うんだよね。
それが「お母さんになる」という言葉になるのは奈緒にとって継美が7才の子供だからで、継美がもっと大人なら友情とか愛情とかいう言葉になるんだろうし、実の母親に愛されない傷みを今7才で抱えている継美だって、頑張って17才とか27才になれば、もっと穏当に理解者を得る方法がいくらでもあるんだよね。それが今こういうはなしになっているのは現にふたりが出会ってしまったからで、35才と7才でも、継美には奈緒が“理解る”からなんだけど。
んで今週のはなしなんですが、最近の高畑淳子はすごいくらい良いなあ。田中裕子がすごいのは当たり前だけどさ。というか、毎週毎週、なんだこの長台詞番組w。
通帳のお金ってたぶん葉奈(田中裕子)が奈緒に会えなかった頃に積み立てはじめたもので、それはたぶん自分とは無関係なところで幸せになった、言い換えれば母親の自分が幸せにしなかった娘への贖罪の意味なんだろうけど、現にその間には奈緒が捨てられてから13年くらいの空白があって、その空白は奈緒の他者の愛情を信じられない空虚さの原因だよね。藤子(高畑淳子)が奈緒を愛していたのは間違いないし、奈緒にだってその気持ちを感じる機会はいくらだってあったんだと思う。それでも「幸せだった」という奈緒は家族の中で笑うこともできない、不幸でもないけど幸せでもない状態だったんじゃないのかな。それは自分が葉奈に捨てられたという意識、「自分を愛するのは本来この人の役目じゃない。母親が自分を捨てたために、この人によけいな役をやらせている」という負い目のせいなんだと思う。
なんでこのはなしが「mother」なのかといえば、それが一番無償の、理屈でない愛情をくれるのが当然の存在だからだと思うんだよね。もらえて当然の愛情だからこそ、もらえなかった人間は自分の価値を信じられなくなる、自分は誰からも顧みられなくて当然の存在だと思ってしまう。それは実の母親と実のだと信じてる姉の中で、十分に愛されなかったと思う故に自分の愛情は愛じゃなく打算だ、と、露悪的にふるまう芽衣酒井若菜)にしてもさ。
意外とあっさり納得した駿輔(山本耕史)は、行動できた奈緒にうらやましさもあったんだろうな。まあ奈緒にヒトゴロシを思いとどまらせてくれたことに感謝します。ホントw。
んで北海道サイドはすっかり正気に戻ってびびっている真人(綾野剛)に対して、すっかり後ろめたくなっている仁美(尾野真千子)ってわけで、もう忘れたら良いのにー(θ_θ;。

*1:ほんとにそうかどうかは知らない。BLよく知らないから。