家政婦のミタ/#5

なんつうか、この番組のテーマがどんなものなのかは別にして、この人たちの課題は「やさしくなりたい」なんだろうなあ、なんてことをぼんやり。
阿須田家の子供たちってけして性根の悪い子じゃないと思うし、むしろあのおとうちゃんとおかあさんに育てられてよくこれだけ家族愛とか肉親への責任とか刷り込まれてるもんだと思うけど、母親なくして大変だとは思っても、ああてんぱってられたんじゃ近くの人間はたまんないよなー。でもそれが分かってても、現にどうして良いのか分かんないのに、大丈夫そうな顔して常識的な態度なんかとれないのは分かるし。他人に優しくするなんて、それだけの余裕のある人間のすることだよね。
そういう意味で、子供たちへの後ろめたさと気持ちのはけぐちのなさに鬱屈した恵一(長谷川博己)の先週のうらら(相武紗季)やカフェの店員にひどいことを言う気持ちは分かるっていうか、でもきっと誰にでも多かれ少なかれあるそんな気持ちを分かってもらうだけで多少の気は紛れるのに、そんな人がいないことが誰にとっても重たいんだろうなあ、などと。
だからまあ、翔(中川大志)に限らず阿須田家の子供の喪失感って母親という自分を無条件に肯定してくれる存在をいきなり失ったってものなんだと思うし(家政婦は言うこと聞いてくれるかも知れんけど、それは服従であって肯定ではないもんな)、でも恵一が子供たちと問題を共有できないのは、恵一にとっての奥さんは元々恵一を肯定する存在(もの)ではない、むしろいることによってさらに自己否定せざるを得ないものだったからってことで、その喪失感を共有してない恵一が、ある種子供たちのノリについてゆけない、っていうことだと思うんだ。
んでこのはなしって、なんつうかそこまで父性的な情動からではないにしても、恵一が子供たちを肯定することで徐々にその輪に近付いていくってものにはなっていると思うんだよね。
恵一が浮気相手に入れ込んだのもあのおねえちゃんが恵一を全肯定してくれたからだし、思えば恵一とミタ(松島菜々子)の会話の噛み合なさって、服従はしても肯定はしないミタに恵一の求めるものが、常に肯定だからなんだと思う。恵一が父親失格なのは、恵一の求めるものが子供レベルの全肯定でしかないってことなんだよね。
というかだったらこの子らのテーマって、「優しくなりたい」じゃなくて「優しくされたい」じゃん(笑。