少年の名はジルベール/竹宮惠子

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール

子供の頃萩尾望都竹宮惠子は私のアイドルだった。とりわけ「風と木の詩」には熱狂してて、毎週少女コミックを買って読んでたし、ノートにジルベールを書いたりしてた。男女がなにをどうしたら子供ができるかも知らなかった頃である。ナチュラルボーンって言って良いよw。
ただなんであんなに熱狂していたかというなら、「風木は週刊連載だったから」ってだけな気はする。現在進行形のはなしを週刊ペースで追いかけるっていうのは、一種の狂躁状態を生むものです。この時期の望都さんの絵が好きじゃなかったせいで作家としては追いかけなくなってたけど、あの頃の私に「今までで一番感動した漫画」を聞けば、「トーマの心臓」と答えたと思うしね。
前置きが長くなったけど、本来このふたりは並べて語る意味がないくらい作風の違う漫画家だと思う。なのに子供の目から見た作家の好き嫌いからこの文を書き始めたのは、「竹宮惠子の自叙伝」のはずのこの本が、過剰なくらい望都さんへの気持ちを書いているからだ。いくらディス表現がないといえ、存命の人物へのストレートな思いを綴るのってありなのかなあ、と思っちゃうくらいに。
その内容を惠子さんから望都さんへの恋物語として読み解く感想はありがちだと思うが、私は惠子さんの恋の相手は漫画だと思う。だからこそ、自分の片思いの相手(漫画)に愛されている人を、間近に見ていることが耐えられなかったんじゃないかな。
でも漫画の神様はひとりしか愛さないわけじゃない。むしろ受け止める人の数だけ神様はいて、惠子さんこそ愛されていると思っている人も、当然いっぱいいるんだよね。
ちなみに私が一番好きな惠子さんの漫画は「ファラオの墓」です。あんなに熱狂していた風木は、プチフラワーに移ったくらいで読まなくなって、長く結末を見ていなかった。その後思い立って未読部分をまとめて読んだけど、私風木のキャラって誰も好きじゃなかったからなー。「なにが好きだったんだろう」と思うくらい、セルジュもジルベールもヤなやつだと思うw。
なんつーかこの本って、1970年代の「バクマン。」なんじゃないかなあ。でも表現の主眼を「当時の気持ちを語ること」に置いたこの本は、惠子さんの書いたものとしては屈指の“少女マンガ”だと思う。