愚かさへの報復/極私的555感想

OA中の村上氏人気を知りたくてぐぐっていたら、Amazonのカスタマーレビューが出てきた。
なんだか納得できないので自分も書こうかとは思ったが、長くなりそうなのでこっちで書くことに。
しかし頭がどっぷり555漬けだよなー、私。今頃になってw。

なにしろ今頃555見てる後追い視聴組なんで、放送当時の評価は分からないんだが、某所のスレとか555感想サイトとかを見る限り、木場は高い理想を持って生きる人だと思われてたっぽい。少なくとも終盤の鶴フェノク喪失までは。
しかしそういうはなしだとすると、なんか私が見てたはなしと違うぞー、って感じが。

まあファイズ見た最初の感想は「うわー、木場可哀想( p_q)」だった私は冗談にも木場アンチではないつもりなんだが、基本的に木場ちゃんはあんまりお利口さんじゃないと思ってたからさ。つうかスマートレディーが正しく木場ちゃんを評価してたけど、彼、お子ちゃまだから。
1話と2話で従兄弟と元カノを殺しちゃったことにしても、自分への仕打ちへの正当な怒りならそいつらより先に叔父さんだろ。鶴フェノクにしても、原罪となる人間殺しは正当といえるものじゃない。
(いや。個人的には、千恵は殺されて当然の最低女だと思うけどさ。)
木場が従兄弟や千恵を殺したのは自分のものが奪われた怒りじゃなく、千恵が自分を愛してない状況が嫌だったんだと思うんだ。オルフェノクとして人間を襲えという命令に従わないこともそう。自分が人間を襲う怪物になるのは嫌だと、子供みたいに駄々をこねただけでしょう?
木場が自分の立場をちゃんと分析できてたら、少なくともスマートブレイン提供の高級マンションで、たぶん生活費も提供されて暮らしたりできないと思うぞ。なんもしないで囲われてるなんて、女子高校生ブームの頃の女の子でもやんなかったと思うし。
あれはわけ分かんない化け物になって命を狙われるという不幸に、木場が“3人分の生活費”という値段をつけた結果だと思う。さすが元おぼっちゃまな経済観念なんだけど。実際、巧も実情を知ったら、木場に生活力のなさを説教されたくはないって。
“命をかけて人間を守る”という行為はヒーロー番組においては特にもっとも崇高な行為とされるけど、わけ分かんないバケモンに人間が殺されてる時に、対抗手段があるのに黙って見てるのは嫌だってだけのことだと思う。それで助かる人がいるんだから、感謝されるのが当然だとは思うけど。
木場は“理由もないのに人間を襲う化け物になるのが嫌だから”人を襲うことを拒否してオルフェノクと戦い、“それなのに自分たちの存在を否定して結花を殺した人間たちの利益になることをするのが嫌だったから”オルフェノクの側に回っただけである。そこにあるのは“自分の嫌なことはしたくない”という強固な意志だが、通常そういうのは“わがまま”と呼ばれる。
けれど木場はそれが自分のわがままだとは自覚していなかった。だから正当な評価を得られないことが許せなくて、自分たちを否定する“人間”は、全部死んでかまわないって立場に変わったのだ。
木場がそれまで人間の側だったのは、それまで木場を攻撃するのはオルフェノクだけだったからだ。
それはファイズとの最初の遭遇で既に描かれている。木場がファイズと戦う理由は「俺の仲間を傷つけるな」。
ファイズにどんな理由や基準があってオルフェノクと戦うのか、木場は知ろうとも考えようともしない。

木場には「自分が間違っている」という考えがない。
事故で家族を失いオルフェノクとなることがなかったら、きっと正論が鼻につくと陰で言われることはあっても、社員にも取引先にも優しい良い社長さんとして一生暮らせただろうタイプだし。
巧はそんな木場が初めて認めた自分以外の“尺度”なんだと思う。
だから木場は執拗に巧に執着したんだ。
「自分が正しい」と思うために。

そういうことを無自覚にやっていた木場に対し、そういうのは自分のわがままなのは自覚した上で、分かってやっているのが草加である。
草加のしていたこと自体を評価すれば、それは文字どおり“命を賭けて人間を守る”以外のなにものでもない。
あまりにも草加がエゴイスティックな人間であったがゆえに、人のためにしているようには見えなかったというだけだ。

“理想のために生きる”という言葉は崇高に聞こえるが、それは本質的にはただのわがままなのだ。
標榜する人の人格によって、そのわがままに迷惑する層が変わってくるだけである。
それは結局は愚かなことであり、人はどこかで己の愚かさに報復を受ける。

なぜ草加は木場に殺されたのか。
それは草加と木場が同じところにいる人間だからだと私は思ったんでした。