響鬼雑感

響鬼以前の平成ライダークウガしか見ていなかった私は、基本的に仮面ライダーは1話完結でライダーが怪人を倒すはなしだと思っていた。
その認識はクウガでもそんなに変わらず、グロンギのゲゲルの構造とかリント文字の解析はあくまで補助的なもので、ダグバの存在も物語の決着をつけるために終盤で敵組織の謎をでっちあげる、というヒーロー物のお約束に準じたものだったし、ある意味敵組織の謎についてはその程度の期待しかしていないのが、私が平成ライダーの終盤に不満を感じない理由なのかも、とは思う。
そしてその認識に準じて「仮面ライダー響鬼」も2話完結で職業ライダーの日常を描くオムニバス、ヒーロー物のサザエさんなんだろうと思っていた。
むしろ下手に敵を意識を持つものにせずに、「古来から続く魔化魍との戦いを続ける、“鬼”版“ナースのおしごと”」にして、「今年は妙に魔化魍が多い」という異常現象の謎を終盤の帰結に持ってきた方が良かったんじゃないかと今でも思う。
(実際、現状も敵に関してはその程度の描写しかされていないし。)
魔化魍の背後に出した黒マントの男という“謎の存在”だったはずの存在が、ある日突然“傀儡”という存在になって「前から知っていたけどね」という描写がされた時に、「あー、なんだ。響鬼のスタッフって物語を体系的に作る気がないんじゃなくって、作る能力がなかっただけなんだ」と気付かされ、「仮面ライダー響鬼」という番組への期待レベルが、激しく下がったのは事実だし。


そもそも私が響鬼にはまった原因はイブの大ナマズ編とトドのデビュー編で、それはいずれも「仮面ライダー響鬼」ではなく「仮面ライダー威吹鬼」であり「仮面ライダー轟鬼」である。
もっとも当時の私はそれを悪いことだとは思わず、多彩な登場人物によって魅力的なエピソードを作れる要素がふんだんにある魅力的な番組だと素直に思っていた。
ただなぜそのエピソードが面白かったのかという理由を考えれば、前者は香須実との関わりから描かれるイブの人となりであり、後者は鬼の道をあきらめるザンキと道を引き継ぐトドの対比だ。
人間関係の描写が面白くなければドラマを見て「面白い」と思うことは難しい。
弟子もとらず、そもそも人と深く関わることを避けているようなヒビキのキャラクターは、ドラマを面白くする求心力をはじめから欠いていたと思う。
“関係”を描くことでヒビキのキャラクターを確立せねばならなかったキャラクターが半分の年齢の明日夢で、しかもその関係は物語の本筋に関わるものではないとあっては、面白くなる方が不思議である。


響鬼全編を通じて新旧ともに黒歴史となっている太鼓編は、トドとの“関わり”を描いていたという点でヒビキのエピソードとしては個人的には好きなはなしだ。
ヒビキの行動の理由を後編で香須実が語って終わりにせず、言葉を尽くさ(せ)ないヒビキの問題点として追求・反省する描写があれば、もっと良いはなしになったと思うのに。


イブを空気だと言う人が多いけど、ヒビキの方がずっと空気だと思うぞ。
はっきりいって「強い」という以外に存在理由ないもん。
終盤あきらとの関わりでイブの存在には光が当たったけど、ヒビキに関しては、ヒビキのはなしを主軸にするための配慮であろう弟子ばなしをメインに持ってきているにも関わらず成功しているとは言い難い。
直接明日夢や京介とぶつかる描写があればまだしも違うと思うけど、ここでも二人との年齢差や、下手に描写された“器の大きさ”が枷になってるんだよな。


なんとか来週は頑張って欲しいもんだ。