あえて「繋がれた明日」にケチをつけてみる

この前4話まとめて見返してみて、気になった点をちょっとだけ。

きっかけは松田さんと弓削君だったが出番はもともと期待していなかったので少なかったことには不満なかったし、むしろああいう役者萌えで見る人の多そうなキャスティングを排した番組で2人にお呼びがかかったことが嬉しかった、って、どれだけ難儀なファンやねん(笑。
この番組ほんとに2人を適材適所してくれたというか、私の思う「弓削智久」「松田賢二」が活きるポジションに置いてくれたことで、出番以上の満足感があったんである。なんというか、好きな人を誉めている文章を読んでいるような嬉しさというか。
しかし改めて見直してみると、そういうファン心理で気付かなかったアラが見えたんでその部分は一応突っ込んでみよう。
けっこうこの番組の意図としては根本的な問題だと思ったんで。

弓削君の出番は基本的に第1話スタートから5分くらいで終了。短いシーンだったけど腕に配したタトゥーとか中道の彼女のことを話す台詞、堂に入った殴り方で「ああ。ろくでもないやつなんだな」と納得させるには充分だと感じた私はファンとしてどーなのよ、という気もする。
しかし同情する価値もないろくでなしをちゃんと演じた弓削君はかなり良い仕事をしたと思うんだが、ちょっと良い仕事過ぎて番組のテーマがぼけた気もするんだな。
実は三上が中道に刺されるシーン、ナイフは三上のものだと思い込んで見ていて、友人の偽証があったとはいえ三上からの殺意がなかったものとして判決が出たことに疑問を感じていた。
2話くらいでナイフが中道のものだと気付いても、ナイフを取り出さないと命の危険を感じるようなものだった印象が最初のシーンにあった。
しかし改めて見返すと三上は中道を殴ってガムを吐き捨て侮辱してはいるが、「かかってこいよ」という台詞は「俺に勝てると思っているのか」といういわば戦闘終了宣言に見える。
「喧嘩を仕掛けたのは三上」「殺したのは運が悪かった」という保護司や中道の台詞が本編中にあるので単なる過剰防衛で殺してしまったような印象で見ていたのだが、落ち着いて見ると中道、侮辱されたことに腹を立ててナイフ取り出してるようにしか見えないよ。
あんたこれで「三上が悪い」はちょっと盗人猛々しいよ。

もちろん三上が中道の彼女に行ったストーカー行為はほめられたもんじゃないが、これも彼女が「喧嘩しないでね」とか言ってる時点であまり緊迫したものでなかった気がしてしまう。
放送局がNHKであること、テレビでこういうテーマを扱う以上被害者を貶める表現を避けたのだろう、という事情を考えても(というか、そういう事情を考えさせちゃう時点で問題)「帰り道で待ってる」ってえらい可愛いな、おい、って感じ。
中道がナイフを持っていったことに関しては、きっと喧嘩慣れした相手に会いにいくのでいきがったのだろう、という補完をさせるぐらいに三上君の印象は極悪であったが、落ち着いてみると中道に同情できなくなる作りはちょっとまずい気がする。
原作は未だ未見なんだが、もっと中道の行為が行きがかり上のものであった描写を強めて、4話で母親が語った被害者のプライバシー云々の問題を第三者の台詞で語らせるように(中道がアクアを訪ねるシーンで事情を知らない店員に三上を叩く週刊誌ネタとかをしゃべらせ、親しくしていた店長に「良いところもあった」みたいな擁護をさせるとか)した方が中道への感情移入は容易かった。
ぱっと見中道に同情しやすい印象を残したのは弓削君松田さんの功績だと思うが、見直すと中道が「落ちるべくして落ちた人間」だという印象がしてしまうんだよな。

足立を感情移入できないキャラだという意見を見かけたが、そういう意味では三上も感情移入できないキャラクターだし、それは中道を主人公に視聴者に感情移入させるには必須要件だったとは思う。
でも殺された人間がどんな人間だろうと周りの人間には大事だったのだということを表現するのが浮気してたって事実はスルーの彼女とか、母親だけって言うのはなあ。
最終話で母親が被害者のプライバシーを語ったことで、彼女の怒りは息子を殺されたことではなく、そのことで自分が侮辱されたことによるんじゃないかと思った私はひねくれ過ぎてますか?

あの番組がとても良い番組だったのは認めた上で、テレビドラマの限界や内容の咀嚼をしにくい映像媒体でこういう問題を扱う難しさを感じてしまった作品だった。
しかし今後その問題点をクリアした傑作が生まれる可能性に、大いに期待できるレベルのものだったと思う。