下北サンデーズ/コメント欄のレス2

いやですからね。私にはゆいかが「若さを言い訳に無軌道な莫迦をやって、芥川や千恵美など周囲の人物たちに大人視点の説教を喰らって何かを学ぶ、みたいなタイプの人物像」そのまんまとは言わないまでも、半分くらいは当てはまるんじゃないの、と見えてしまうわけです。確かにゆいかは説教喰らうんじゃなく説教喰らわしてるんですが、その説教自体がある種無軌道な莫迦に。
アテンションプリーズ」は私は初回冒頭でリタイアしたので存じませんが、確かにそれに比べたら下北のゆいかは熱心に演劇をしているだけで取り立てて他人に迷惑かけてるわけじゃないんですけど、それでもサンデーズのメンバーが1億円を棒に振って人生賭けてる行為に、首突っ込んだばかりの素人が口出すんじゃないよ、と思うのは私がサンデーズのメンバー寄りの、それもたぶん当事者というよりは友達とかの立場で考えてしまうせいじゃないでしょうか。当事者なら逆にもっと冷静に、善意だけ受け取ったりできるんでしょうけど。
ゆいかの青さがメンバーを動かして流れを変えるというのは原作どおりの構造ですし、それは別に良いんですよ。主人公だし。
ただほぼ定番化しているあの演説は、ゆいかを“魅力的な人物”と見せるには逆効果だと思います。結局気を抜くと脇に回ってしまうゆいかというキャラを主役に見せるために、不自然に与えられた見せ場が“でしゃばり”という属性を加えているんですよ。気にならない人は気にならないんでしょうけど私は気になります、ってことです。言われる古参メンバーも腑甲斐無く見えますし、結局誰も魅力的に見えないのが見ていてつらいです。
「作劇上の手当てがあるかどうか、それ次第で許容してしまう」というのはまさに私もそうやって見る方なんですごい分かるんですが、このドラマのゆいかを許容レベルに達していると思えないのは完全に好みですね。
別に「上戸彩なら許せるんでしょ」とか本気で思ってないんで気にしないで下さい。ジョークだったんですが失言でしたm(_ _)m。
思ったんですが、ゆいかを持ち上げるためにメンバーをダメに見せる傾向がこの番組にはあって、でもそもそもサンデーズはゆいかを演劇に飛び込ませるくらい魅力的な人たちなんだから、メンバーがどんなに魅力的かを見せることで面白くする方法はあるはずなんですよね。
そこでメンバーを魅力的に見せるように作ったのがサンボのエピで、メンバーを下げたのがキャンディのエピ。それが私にとっての差だったのかなあ、と。
以前の黒猫亭さんのコメントにあった「普遍的に踏み外している部分」というならそこなんだと思います。私にとっては、ということなので普遍的ではないですが。

追記/「下北サンデーズ」の不快感

というところで、私がこの番組を不快に感じる理由を考えると、結局は「誰も魅力的に見えない」ことに尽きると思うんです。
正直言うと私は上戸彩は好きじゃないんですが、好きじゃない理由は私が不快に感じる空気も読めないくせにやたら出しゃばりなドラマのゆいかの様なキャラクターに、すんなりはまって見えるせいであって別に上戸彩本体が嫌いなわけじゃありません。
原作の方の感想にも書きましたが元々のゆいかはドラマのゆいかとは微妙に印象の違うどちらかというと内省的な子で、ドラマにある「未熟」という台詞はこの辺りを拾ったものだと思いますが、トータルに見て好感を持てないドラマのゆいかにそれを言われても、「なんでもそれで済ますなよ。未熟だと思うんならちょっと黙れよ」と思っちゃうわけです。
ただ上戸彩は役者として見れば、原作にある世間知らずだけどお芝居が好きであくたがわの才能に惚れ込んでいて、なによりもサンデーズを大切に思っているいじらしいゆいかを、それらしく演じる姿をすんなりイメージできる人なんですよね。
私がゆいかを決定的に嫌いになったのは試着室で前髪を切るエピソードなんですが、そういうエピや演出が、私にはことごとくゆいかを嫌いになる方に向かってしまう。
ドラマのゆいかがはなしの中心になるのは仕方ないと思えるくらいに魅力的なら、他のキャラがゆいかに引っ張られるのも仕方ないと思えるんですがそうじゃない。
ゆいかを持ち上げる演出がちっとも成功してなくて、ドラマのストーリーを見た時の「どいつもこいつもしょうがねーなー」という印象に、脚本や演出への不満があいまって「こんなしょーもないドラマのためにコケにされるのか」という、モチーフへの思い入れと制作への不満が相乗効果を上げているのが私の状態です。