わたしたちの教科書#5

はなしは主に加地周り。いつものこととはいえきょーれつにバカなんで珠子周りのはなしが少ないと加地への不快感がMAXになるなあ。いや、珠子の描写が多いとそっちが不快になるだけのはなしだけど。
加地の動機は結局「自分を良い人だと思いたい」というそれだけだと思うんだな。それが偽善者ということなんだけど、別に偽善者でも良いと思うんだ。ただ起こった事実の真実を暴くことは誰かの罪を暴くことだから、それをする自分を善人だと思ってもらうのはずうずうしいよね。
大体さあ。カネヨシとのやりとりだけどあれ変じゃない? 「大人はお金で女の人を買う」と言うけど、普通の感覚だったら「そういう人もいるけどそうじゃない人がほとんどだよ」って答えると思うんだが加地の感覚だとそうじゃなかったんだろか。父親の援交相手をストーカーするカネヨシの表情がどう見てもストーカーです(ryなのは演出ですか。わけ分からんw。まあ偽善者といわれて激怒するのはこのドラマが加地を偽善者だと思ってるからだろうけど、悪でも良いと開き直る人ばかりだと世界は変わらないとも思うわけだよ。
カネヨシ役の子の声が変声期前なのはなぜなんだろう。ドラマの空気が病んでてキモイよ。成長拒否?
カネヨシに罪を弾劾されて「僕は良い人」なアイデンティティが揺らいだ加地に「あなたみたいなのが良い教師」と飴をくれる副校長。でもそこでこれ見よがしに花飾る理由はないよな。「2年3組が明日香を殺したと思っている」「明日香しか見てない」「子供たちを守るのは教師だけ」。それは良いけどじゃあなんで明日香は死んだわけ? 事実を調べることをやめて、明日香の代わりにいじめられるようになった誰かがまた死ぬことだって有り得るわけだけど。
そしてどう考えてもそれだけは事実と違う「いじめはありません」は思考停止宣言でしかないだろう。珠子のやり方が違うと思うなら、せめて「このやり方は違うと思う」って言えよ。ばーかばーか。
罪を犯した時に必要な作業は罪と向き合うことだと思うのだが違うんだろうか。「君は悪くない」というのは自ら罪と向き合った者への赦しの言葉であるべきなんちゃうん。
そしてウルトラマンメビウスまさかの服役中(笑。なんで坊主じゃないんだというのは突っ込まんけど、独房にいる辺り出所が間近ってこともないだろうし、五十嵐君出番あるのか?