ちょっと思った。

なんかこういうこと言ってる人見る度に思うんだけどさ。
http://anond.hatelabo.jp/20080209222931

こういう風に「動物の悲劇を見ると胸が痛むんです」的な感性に「おまえらのやってることなんか偽善だぜプププ」的なこと言って、人間の本質見極めた気になっている人を見ると幼稚だなあ、っていうか、自分じゃ賢いつもりなんだろーなあ、って生温ーい気分になんのね。
そもそもたかだか1匹の犬を飼うことが、そこまで負担になるもんかって辺りが既に疑問なんだけどね。
そりゃあ手はかかるし面倒だし、自分で欲しいと思わなければわざわざ飼おうと思わないだろうけど、子犬が生まれて親犬と6匹全部なんて無理、とかならともかく、たかだか1匹の犬を飼うことなんかそこまで大変?

“流行と偽善の気持ちから挙手した人が殆ど”だったとしても、自分が救わなければ餓死する犬がいることに本気で耐えられなかった人は確実にいるし、一旦手に入れた犬を自ら捨てることは、知らない犬が保健所で殺されていると思うことの何十倍も罪悪感を伴うことだよね。そんな思いに耐えられない人は、知らない犬が保健所で殺されることに耐えられない人の何十倍もいると思うよ。こういうことをいいたがる人は、仕方なく飼い続ける人のことなんか絶対言わないんだけどさ。

この芸術家のしたことは、絶対に何匹かの犬を救ってると思う。救われた犬のことを言わずにまた捨てられた犬のことだけ言って、自分の“芸術”が完成したと思うならそう思っていたら良いんじゃない?

助けた行きがかりで仕方なくだとしても犬は餌くれて面倒見てくれたら文句言わないだろうし、よその犬が捨てられても気にしないでしょ。それが偽善だとかどうとかってことを賢しげに言い立てるのは、餌をやる立場の人間だけで、犬からしたら自分のお腹が減って死にそうに苦しいか、とりあえず餌がもらえるかって問題でしかない。だとしたら餌をもらえる犬が1匹でも増えるなら、犬全体の苦しさは前より減っているでしょ?

それでも自分が勝ったと思うのならご自由に、ってことだよね。