GyaO Magazine/2009.1

なんかファンとしてはここまで大丈夫な役者で大丈夫なのかとちょっと複雑な気持ちになってしまいました。だってこの本、“女の子のための総合エンタメ情報誌”なのよ?
実際今年の健って電王終了後電キバを終わった後は、お芝居をどうこうする役にあたっていなくて(物語の中で不足のない演技なのは当たり前です。それもできない役者の個人カテゴリなんぞ更新できるか。雑誌記事の感想なんて、最低限健自身の仕事に不満がないから書けるんだw)、それでもROOKIESの後ブラッディ・マンデイ鳴り物入りの三番手で雑誌の表紙になることも当たり前になってきている以上、去年のように単独DVDでフィルムを撮ることはスタッフは考えないだろうし、健自身の役作りが物語を動かすような役が健に回ってくるのはいつだろう、としょんぼりな気分にはなってたんですよ。だからまあ、雑誌の写真仕事というのは健自身が“佐藤健”の役作りを決定してるっていう点で、一番見ていて楽しかったのはあるんですが。
今回インタビューで健は「電王では芝居をする機会もたくさん与えられていたし質的にも量的にも芝居に満たされていた。でもROOKIESの現場ではいろいろ勉強はできたけど芝居をした、って感覚は少なくて、それはブラマンでもさら電でもそうだった。そんな中でもっと芝居したいなと思っても自分にはまだできない(=それだけ重い役がくるポジションに自分はいない)のは分かっているし、その上で自分が知らないことを感じる毎日だったから、去年に比べて自信は減った」と言っていて、それはまさしく健を見ていて感じているんじゃないかと私が思っていた感覚なわけです。通常それは“希望的見解”と呼ばれるんですがw。
その上で自分が今すごく注目されている若手なのは分かってて、今までの現場で得たものも言葉にできて、でもこの注目度の高さが良太郎で自分を知ってくれた人がいるからなのも分かってる。語りっぱなしでファンブログもチェックしなければコメ欄もノーチェックの私には健人気の実態は分からないところもあるんですが、今好きなタレントを聞かれて健の名を挙げる人が全員電王を見ていたとは思わないけど、ああいう番組の主役を1年演ったところからスタートしてるって、知名度という点ですごい恵まれてると思うんですね。
さらに自分が注目されているのは自分が特別魅力的だからじゃないかと聞かれて「魅力的な役者より魅力的な役を演じ続ける役者の方が注目度は高い」と言い切った上で「だからこそ役者は面白いし人気があるかどうかもそこまで大切なことじゃない。でも人気があるからできることがあるのも分かっているし感謝してる」と言っちゃうこの分かってる感をどうしたら良いのか(-_-;。<どうもしなくて良い。
実際健の言ってることって真理だと思うし、でも健がこれを発言できるのって健が今人気あるからですよね。ここまで分かってる子に言うことなんかなにもないんですが、ひとつだけもしかして分かってないのかと不安になったことがあるとしたら、良太郎を魅力的な役にしたのはあんただよ、周りがどんなに頑張っても、それを魅力的に演じられる役者がいなければ、魅力的な役にはならないんだよ、ということはひっそり呟いておきます。