仮面ライダーディケイド/第13話「覚醒 魂のトルネード」

クウガが一条さんと五代のバディものだって意見にはまったく異存ないし、響鬼明日夢とヒビキさんのバディものだって意見も、途中脇道にそれた部分の分量でどうなのかなあと思っても許容範囲だよねと思うのは、最終的な落としどころから考えて企画意図としては納得できるからね。
一方で555の巧と木場に心通う瞬間があったとしてもああいうのはバディものじゃないよねえ、と思うし、電王の良太郎の戦いが共に戦う侑斗の存在を未来に繋げるためのものだとしても、やっぱりバディものじゃないだろうと思うのは、お互いがお互いのことを同じだけ大切に思っている、というのが私の思うバディものの鉄則だから。
白倉ライダーの対人感情ってもっと淡いっていうか、彼等にとって相手はなにひとつ傷つけたくない世界の一部ではあっても、とりたてて相手が大切ってものではないと思うんだ。それはたぶん、自分が相手にとってなによりも大切なものだってことを信じてないからね。
私が平成ライダーの中でもとりわけ白倉ライダーにはまったのは、彼等がいずれもこの世界に自分の場所があると信じていない疎外感キャラだったからね。乱暴にいうと自分がこの世界で誰かと繋がって幸せになれると思ってないというか。その感じは存在として人間ではないブレイドの始ちゃんとか、まして前提として「この世界の存在じゃない」というだけで、破壊者と呼ばれても自ら世界に関わっていく士とは全然別のものなのよ。
私が士を今までの白倉ライダーとは全然違うと思う最大の根拠って、士ってユウスケはもとより夏海とか栄次郎にとっても自分がちゃんと大切だって分かってると思うのね。自分と世界は切り離されてると感じながらなんか繋がれないかなって戦ってるくせに、どんだけ世界に尽くしてもあっちから返ってくるとは思わない巧たちと違って、士はここが自分の世界じゃないとしても、自分の存在が夏海たちやユウスケと繋がってるってことは分かってると思うの。そもそも士って、根性が曲がってるだけで屈折はないんだよね。世界からハブられてることに拗ねてる部分はあってもさ。
というわけで。今週の士ってユウスケにとっての自分の価値を信じればこそ、ユウスケの“大切なもの”のために身を捨てて行動できたんだと思うし、逆の立場だったらきっとユウスケもそうしたよな。リセットされた龍騎編の例はあってもバディものになることをしつこく避けてきたディケイドで、曰く今週が最後の會川さんの置きみやげがこれですか。さあどう扱うものやら。
まあその辺の感慨の方が強くて今週の感想は特にないんですが、バックルを奪われ戦う力を失った身でユウスケのためにショウイチを守る士には泣けたし、八代の強さとショウイチへの思いを知って士と共にあねさんへの約束の旅を続けるユウスケにも泣けました。ユウスケも士もディエンドもいなくてもこの世界はこの世界のライダーが守るから良いんだよな。頑張ってくださいショウイチさん。
まあ海東みたいなコドモにはほんとのものの価値は分かんないと思うけど、何回コケてもこりずに同じところでコケるあなたのおとうさんに、その説教聞かせてあげてくださいよつーちゃん(θωθ)~*