SSP▲ネタがないって危険。

いや私のことですが。←タイトル。
まあDCD終盤、感想ではたいしたツッコミを入れずにコソコソ人様のコメ欄とかで愚痴っていたのは、ほんと自分の意識として“愚痴”しか出なかったからですね。だってつっこみを入れようにも、番組が面白くない理由なんてはなし作ってる人間の文芸的ココロザシが圧倒的に低いからってだけなんだから、そんなの責めたって仕方ないじゃん。「ああいう人なのは分かってたけどでも」って、それは愚痴ですよ(笑。
つかうちは伸ちゃん萌えブログを名乗った上でさんざん誰かさんの文芸的モチベーションの在り様は探ってきたんだけど、今までに誰かさんが作ってきたものを見た上で、「この人がこんなものを出してくるはずはないのになんで?」というショックを受けてオタオタするのは、カブトの1年でやっちゃってたから。その後電王がああいうものだったことで逆になぜカブトがああだったのかが見えてしまうと、ここでこうなっても「ああやっぱり」とは思っても「なんで?」とは思わないから語ることもないんですわ。まあコドモできたから結婚しようって就職したプー太郎の彼氏が仕事やめてたって知った気分ってこんなかなー、という感はありますが。←友人の実話。
あ。ちなみにカブトに対する「なんで?」は作品性に対する「なんで?」なんで、番組自体はあれでありだったと思うよ。まあどちらにしても問題の根は同じようなことだと思うけど。人間が自分のキャパを過信するとろくなことにならないよねえ。
しかし文芸的なモチベーションが低いのはともかく、視聴者に対して誠実なのが取り柄だった人が視聴者蔑ろにしたら終わっちゃうだろうよ。DCDの最終回が映画に持ち越されたことをエヴァイデオンと一緒にする人いるけど、作品に対するモチベーションが結果的に放送枠に納まらなかったことを、商売で納めなかったことと一緒にしたらクリエイターとしての庵野さんや富野さんに失礼だと思う。それ言ったら、プロデューサーはクリエイターじゃないから良いんじゃない?、と思う自分もいるけどねー。