仮面ライダー×仮面ライダーW&ディケイドMOVIE大戦2010を見てきたんだけどさ。

めんどくさいから普通に感想書いて終了する気でいたけど、頭痛で頭の回転速度がだいぶ落ちてたせいで普通の感想が出てこないんで思ったこと書きます。あ、映画は面白かったよ普通に。正月過ぎてからもう一度は見にいくつもり。
映画の感想じゃないけど、ネタバレには触れるかと思うんで畳みます。基本的に映画の感想じゃなくて伸ちゃんのはなしだよ。



んでですね。以前「ファイズギアのない世界を乾巧は生きていけるのか」というエントリをあげた時に言葉を濁した「ヒーローと正義」の意味するところは、「この人はヒーロー番組が平成ライダーのようであってはならないと思っている」ということだったんですよ。だってクウガとか引き合いに出すからみんな怒っちゃうけど、白倉ライダーの主人公がやってることって雄介がやってたこととどんだけ違う? 私あの本を扱ったテキストでほめてるのって見たことないけど、そらー言ってることが作ってる番組の内容とまったく噛み合ってないんだから、信者でもほめようがないのは当然だと思うの。だから私があの本を読んで理解したのは、「この人はヒーロー番組の制作者としては、戦う本人を含めた少年の迷いや心の痛みはヒーロー番組には不要だと思っているのに、そういう痛みに無頓着な人間(草加とかw)はヒーローにはなり得ないと思っている。なのに要らないって部分だけで本一冊書き上げちゃうってことは、この人のいうことは真に受けちゃだめだってことだ」ってことね。だって言ってることと作ってるものを照らし合わせたらそうなるじゃん。「インタビューで嘘つくわけがない」というあなた。じゃあ番組プロデューサーが「いやー。これじゃダメだと思うんだけど、これしかできないんだよねえ。はっはっは」とか言えるわけあるかどうか教えてください。
んで私が白倉萌え的に、アギトを「盟友井上敏樹の手になる僕の見たい仮面ライダー=井上作品で白倉濃度は低め」、龍騎を「ルーキー小林靖子を迎え、狙ってたのかどうかは知らんけど、おはなしとしては“正義が力”になり得ない白倉ライダー世界に、真っ当な正義の味方・小林ライダーが放り込まれたらどうなるかの実践。正義の否定に忙しいので悪い意味で白倉濃度は高め」、555を「女房井上敏樹の手になる“おまえのいう正義ってこういうもんだよ”。おはなし自体が白倉正義に寄り添ってるので、Pの出る幕はなく良い意味で白倉濃度は低め」、カブトを「もう俺にライダーはできないと思った白倉Pの、“みんなが見たいはずのいつもと違う仮面ライダー”。そもそも出発点の“みんなの見たいライダー”自体あるのかないのか分からないもので、一部監督以外誰も天道総司を理解していなかった結果、おはなしとしてまるで成立しないキャラクターショー」、電王を「盟友小林靖子の手になる“あなたのいう正義ってこういうものよ”再び。555同様おはなし自体が白倉正義に寄り添っているし、そもそも正義を問題にしていないように見せる番組の作りのうまさもあっていろんな意味で白倉Pの出る幕はなし。必然的に濃度は低め」と評価しているのは過去に語った通りで、この論旨の行き着くところは「白倉ライダーっていうのは結局は白倉伸一郎である」という、ちょっとハズカシイ結論だってことね。いやこれがハズカシイのは私が白倉さんだったらハズカシイってことで、白倉さんがハズカシイかどうかは知らんけどさ。でも正義の在り様に強いこだわりのある白倉さんがヒーロー番組を作り続ける限り、その主人公は白倉ライダー的にしか存在できないってことだし、それは一社会人としてなんかハズカシイと思うよ。少なくとも他人に言われたくないだろうなって程度にはw。
そして再びP作品となるディケイドを、白倉さんはお祭り作品として世界を回る“装置”以上にする気はなかったと思うんだ。本編がどんなはなしだったかを分かりやすくつまんで、主人公門矢士が肯定し、その世界を侵す悪意を断罪する。白倉さんにそういう分かりやすいナビ番組以上のものにするつもりはなかったんだと思う。だってそうじゃなければそんなはなし成立するはずがないもん。
なのに困ったことに會川さんは白倉さんが思う以上に上手かったし、文芸的に成立させたいってココロザシは当然ながら白倉さんよりずっと高かった。ディケイドという番組が回り出すと共に私に見えてきたのは、「仮面ライダーディケイドというのは、平成ライダーを肯定する白倉伸一郎の正義とはどういうものか、という番組にしかならないと思うんだけど、それって結局門矢士も白倉伸一郎だってことだよねえ? しかも會川さんがそのロジックを分析してるんだよねえ? いやー。ワタシ的にはおっけーだけど、伸ちゃんは嫌じゃないのかなあ……」という構図だったわけですよ。だからまあ、會川さんの降板はある意味予想どおりだったよ。
今回の映画って結局、「仮面ライダーディケイドという番組は装置なんだよ」ってことを言ってるだけの映画で、これを伸ちゃんの盟友田崎竜太ロスが撮っているのはやっぱ竜太ロスが一番伸ちゃんを分かっているからだと私は思うし、この映画の監督が竜太ロスで良かったと思った。だってなんか納得したもん。
主に白倉伸一郎の正義を語った平成ライダーというシリーズがあって、でもそれを正義として語ることができない白倉伸一郎というプロデューサーがいる。それでも番組が続いていくのなら、「これはおはなしだ」と宣言するのもありなんじゃないかなあ。個人的には會川さんの降板以降「これはおはなしだ」と主張し続けるディケイドという番組に感情移入できなくなったことはとても寂しいですが、それでも私は彼等の戦いに共感するし、それを見ていたいと思うんだ。それを語る白倉さんがどこに行き着くかなんて、今さら慌てて見なきゃとも特に思わんです。
うまいこと竜太ロスになだめられた気はするけどw。
まあお客さんはいっぱい入ってたし、子連れのおとうさんも楽しんでたから平成ライダーの未来は明るいんじゃないでしょうか。映画のオチにはみんな笑ってたんで、もうみんな分かってるんだと思うよ。