読了。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京(下)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京(下)

この件に関してはもうネタバレには当たらないだろうから書くけど、原作だと白井代議士と崇の親子関係がないのは、白井代議士が崇以外の粘膜をサンプルとして出した結果です。白井にとっては親子じゃないという事実を証明して三奈を納得させることこそが重要ってオチで、一応三奈がその後崇と透が完全に両親一致の兄弟だと確認=ドラマの通りほんとの父親は和裕ってオチで、逆にそのオチのためにこそあるのがあの安田攻防戦の中での一度限りの関係なんだろうなあ、と読み終わって思った。でもドラマでは触れなかった気がするけど、三奈と違って和裕が前科持ちなのは攻防戦の中で警官を殴った暴行の事実があるからで、ドラマだとそれは三奈を助けるためなんだから覚えていない三奈ってヒドクナイ(^_^;?という気が……w。
その辺りって原作が1999年のはなしでドラマは2010年という、法律や社会状況が変わったからこその描写の変化もあるんだろうけどね。その辺ドラマより若い原作崇の人物像が甘いって感はある。逆に原作よりずっと年食ってんのに、年齢的なものとは関係ない崇の欠落感とか孤独とかをちゃんと見せた北村一輝はうまいなあ、と……w。
本としては上巻の方が面白かったかなあ。原作では一貫して三奈の反対理由である近親婚による障害児誕生のリスクをドラマで言わないのは、現に三親等以上の結婚が認められてる以上テレビメディアで描く当然の配慮だろうけど、逆にそのせいで三奈の根拠が生理的な嫌悪感であると見えたせいで、どうなるかも分からん障害児誕生にこだわる原作三奈よりはDQN感が薄れたのは良かったと思う。どっちみちイタイ人だけどw。
つっこみどころは多々あれど、原作が楡周平の大衆小説なんだから対象に向けた描写とか芸風はあるだろうし、学生運動の描写がどうこうっていっても、読んでる人だって学生運動なんか知らないだろ?、って思うんだよね。当時を知らない人間が後から語られた当時のはなしを読んで美しい物語を想像するのは勝手だけど、それをリアルに体験したものにとっては普通に軽薄なその場の勢いな部分とか、個人的な対人感情に基づいた若さ故の勘違いとかあると思うんだ。それはどういうネタかに関わらず。
でも元々の動機が愚かな衝動でも、それをしないでいられない自分なりの理想とか欲求とかはあるわけで、そういうエゴとか個人的な傷にこそ人を動かす力がある、と描いたドラマ版は美しいなあ、と思うよ。個人的にはNHKのドラマ版バッテリーとならぶプロデューサーおよび脚本家GJ、な作品。ドラマ版ROOKIESはテーマ的な面では、原作そのまんまだからね。*1

*1:それが悪いとは言ってないw。