龍馬伝/第10話「引きさかれた愛」

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演出:真鍋 斎
1858年。龍馬23才、以蔵20才、武市27才、弥太郎24才(生年より単純計算)
演出は女優回担当真鍋斎。おかげさまで佐那(貫地谷しほり)も加尾(広末涼子)もきれーであった。でも自分の中で一番きれーなのは武市さん(大森南朋)と以蔵(佐藤健)v。←なんでやw。
いやあのさ。大義のためとはいえ幼なじみを知らない人ばかりの京にやるなんて武市さんヒドいとか、そんな任務に妹を差し出すなんて平井収二郎ヒドイとかは人情だと思うけど、そもそもあの状況で加尾の家に挨拶に行くでもなく加尾を家に帰す龍馬(福山雅治)だって大概ヒドイって思うんだ。そもそもこの状況って、龍馬がお江戸へ“世の中を見に”行ってた2年間のツケだろ? 下士だと言っても龍馬の家は経済的にはそれなりの家だし、もっと早い時期にちゃんとはなしを入れていたら収二郎の思惑はともかく結婚は可能だったと思うんだよね。その辺「史実だから」って言ったらはなしが終わっちゃうんだけどw。
その辺で龍馬の自由さは自由さとして、世の中には世の中の決まりや常識があるんだよ、付き合わされる身にもなれよ、と思う辺りが私が龍馬を好きになれない理由である。いや自分の意志で自分のやり方を通そうとするのは自己責任で良いよ。でも自分のやり方を通すことで他人を泣かせるのはいかんだろ。
んでそういう他人の涙に無関心になれるわけでもないのに、結局いろんな人の思惑や思い込みも切り捨てられず、おまけに龍馬への意地もあって自分を嫌いになっちゃうような方に行っちゃう武市さん。自縄自縛の見本のような人だ可哀想w。んで図らずもその後の土佐勤王党のやり方を示唆する龍馬は、「以蔵らあと行って叩っ斬ってこい」とかお気楽に言うなよ。ほんとにそうなった時には言ったことも忘れてるくせにw。
「難しいはなしになるから」と入れてもらえない以蔵はワンポイントながら素敵に可哀想であった。久しぶりな冨(奥貫薫)とのシーンも、黒武市との対話で自分では周囲の人を選ぶのに、その時にはもう事態がどうにもならないとこまで行ってて、結局自分を許せなくなるんだろうな、という武市さんも良かった。
こんなに健出演ドラマが楽しみで良いんだろうか。幸せv。