龍馬伝/第13話「さらば土佐よ」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/index.html
演出:大友啓史
1862年。龍馬27才、以蔵24才、武市31才、弥太郎28才(生年より単純計算)
甥っ子の暴走を承知した上でそれが自分の指示だったかのようにフォローする。結局吉田東洋田中泯)が一番カワイイのって後藤象二郎青木崇高)なんじゃないだろうか、って、それはどうでも良くて!
龍馬(福山雅治)の脱藩ばなしに演出は武市番・大友Dだったんだけど、むしろドラマのメインは武市さん(大森南朋)の決断だよな。決断が東洋暗殺か、冨(奥貫薫)のいう「穏やかで優しい」自分との決別か分からんけど。
まあ大友Dの武市さんageはすごいなあ、となんだか苦笑して見ました。このドラマの感想として、龍馬に対して武市半平太の人物像を矮小化し過ぎる、こんな小さい人じゃなかったはずだ、という意見ってよく見るんだけど、坂本龍馬主人公の物語として藩の枠をこえ、世の中の流れを見据える龍馬に対し、あくまで土佐の中で藩や自分達下士のことしか考えない武市さんの人物像が小さく見えるのは当然だし、むしろその小ささを描いた上で、そんな小さい人が小さいなりの理想や思想、周囲の人への思いで以って普通なら思い付かないような大きなことや、非人道的な行いに手を染めていく、って面白くない? 私「なんておいしい役だろう」と思って見てるんだけど。むしろ家族の生活や命すら脅かしかねない事態(龍馬の脱藩を問題視されたら、当主の権平とか切腹もあり得るよね?)で、一家をあげて袴の心配やらお弁当の心配をしてもらい、「土佐で収まる人間じゃない」って、それ身内の欲目って言うんじゃないの、って主人公の方がどうかと思うけどなあ。いやそれが主人公性ってもんだというならそう思うけどね(^_^;。
弥太郎(香川照之)にしたって「虫けらが虫けらを殺すのが悔しい」って違うよね。弥太郎が象二郎の言うことを無視できないのは弥太郎が下士の身分に過ぎた出世を願ってるからで、竜馬を殺したくなかったというより自分が殺人者になりたくなかっただけだよね。出世のために幼なじみ殺すなんて普通じゃないもん。頭が良いことと器が大きいことは問題が別で、このはなしの弥太郎って世の中がどんなでも自分や家族のことしか考えない小さい人間だけど、人として家族のことを思うのは当然のことだし、家族を捨てて脱藩に踏み切る龍馬と、家族のために薪を割る弥太郎とどっちが立派かってこととどっちが魅力的かってことは別だよね?
ということをみょーにつらつら考えてしまった今週であった。だって大友Dの武市さんの見せ方って明確過ぎて感情移入できないんだもん。武市さんが「東洋を殺すべきでない」という龍馬の判断の時点で、龍馬の正しさに寄り添っていては自分は先に進めない、と気持ちを閉ざす、それを悟った龍馬が幼なじみとして武市の情に訴え、武市が思い出を語ることで自分たちの決別を語る、というシーンの面白さは分かるけどさあ。
うーん。泣けないのはナゼ?w
まあ今週も面白かったですが、龍馬と春緒のみょーにインセストタブーを匂わせる見せ方といい、大友Dの仕事はお茶の間向けではないような気はするなあ。いやそんな関係があったとか思ってないけど。むしろそれいうなら龍馬と乙女ねえやん(寺島しのぶ)の見せ方はどーなんだ、ってはなしだけどw。
そういえば今週ははじめて以蔵(佐藤健)が出なかったけど、予告で出てたから良いや。←良いのか。うん。
つっか東洋暗殺の実行犯が今まで描写のひとつもなかった(言ってみれば武市の幼なじみ枠の誰でもない)人物だって辺り、脚本も考えた仕事してると思うけどね。実行犯の那須信吾は龍馬の脱藩を手伝った人物だけど、本編で関わらない分巻末の紀行で名前出すとか、龍馬伝は上の方から良い仕事してると思う。
あ。東洋暗殺のシーンはかっこ良かった。武市萌え視聴者としては、東洋さんの武市さんへのドSっぷりは、怒って良いのか感謝すべきかってシロモノでしたが、泯さんには惚れ直しましたですv。