龍馬伝/第25話「寺田屋の母」

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演出:渡辺一貴
1864年。龍馬29才、以蔵26才、武市33才、弥太郎30才、桂小五郎31才、久坂25才(生年より単純計算)
なんか武市さん(大森南朋)と以蔵(佐藤健)が捕まってからはなしが動かなくてつまんないなあ。いや海軍操練所の閉鎖とかすげードラマなのは分かるんだけど、龍馬(福山雅治)がそういうドラマになにも思わずにうろうろしてるだけだから「だからなんなの?」って感じで。龍馬がそこでなにを思ったかちゃんと見せんと。幕府、というか慶喜公(田中要次)が力を盛り返した今、勝(武田鉄矢)になにもできないなんて子供にだって分かるのに、こいつらなにを騒いでんねん。結局今週の龍馬がやってたことって、よそのご婦人に母上って騒いでたことと、その延長で人助け気取りで他人に自分の知り合いの面倒見させた、っていうのがすべてだと思うんだが他になんかあったっけ?
んでこういうドラマの場合、人物の有名な逸話をどう見せるかという興味は視聴者にあるわけですが、有名な毒まんじゅうのエピをこの武市さんがどうするんだろう、というのは当然の興味として、だからってそれで何週もひっぱられてもなあ、と思っちゃう自分がいる。まあ来週には片付くだろうけど。
弥太郎(香川照之)のように、武市が自分のしたことを言えば以蔵の拷問は終わるじゃないか、と思う人がいるのは当然なんだけど、武市さんが以蔵にわしの考えは間違っていた、わしの間違った考えのためにおまえに人を斬らせてすまん、と以蔵に言ったら以蔵の気はすむのかなあ。まあこのドラマそれをやりかねないところがコワイんだけど。少なくとも私は、武市さんはなんちゃあ間違っとらん。わしはそんな立派な武市さんのために、武市さんの役に立つために人を斬ったがじゃ、と以蔵は思っていたいんだと思うけどなあ。そんなことのために拷問の苦痛に耐える意味があるのかと弥太郎が思うのは当たり前だけど、誰かのために生きたことのない弥太郎には分からなくても、それが意味のあることだと思う心はあるんだよ。
ムシキング容堂さん(近藤正臣)はすっかりただのアル中なんだが、この人がなに考えてるのか描いておかなくて良いのかなあ。近藤さん、自分が近藤だからって近藤勇(=攘夷派の敵)やらされるのがイヤだったって人なのに。
でもどんなに番組がイマイチでも、武市さんの涙がきれいで以蔵の気持ちが切なければ視聴モチには十分だ、と思っているのが私である。だって少なくとも、龍馬伝見てて胃は痛まないもんv。