龍馬伝/第39話「馬関の奇跡」

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演出:大友啓史
1866年。龍馬31才、高杉晋作28才、桂小五郎33才、中岡29才、陸奥23才、弥太郎32才(生年より単純計算)
今回からいよいよ最終章第4部。今までの冒頭どおり弥太郎(香川照之)と坂崎紫瀾(浜田学)のやり取りを入れてきてるけど、相変わらずな弥太郎のDQNぶりがなあ。つか本編の痛々しさがVer.Upしてるからそう思うんだけど。薩長同盟成立後のこの時点で他藩の人間が坂本龍馬福山雅治)という人物をそこそこ評価してるのは当然のことだし(史実はどうあれ、このドラマで彼等は現に龍馬と関わっているんだから)、「そんな人物を罪人扱いする土佐藩は信用できない」って真っ当な理屈じゃん。そこでキレる弥太郎は商人として問題外だろう。弥太郎が龍馬に受けた恩義への気持ちを龍馬へのコンプレックスを膨らませるだけのものとして成立させる香川氏の上手さはともかく、弥太郎の人物像としては鬱陶しくってしょうがないんだよなー。いやそういう鬱陶しい人だっていうのは分かるんだけど。弥太郎が語る龍馬が魅力的だっていうのは単に語る弥太郎が龍馬をすごいと思っているからであって、龍馬の人間は普通に胡散臭いだけだよ。
それでも大友D渾身の高杉晋作伊勢谷友介)伝は、さすがといっていい出来であった。ほんと男はフェティッシュにウツクシク描くよねーw。戦場で着流しとか三味線とかを、“剛胆”ですませて良いのかっていうのはあるけど、高杉という人物のカリスマはもとより、そういうカリスマを求める層の実感をちゃんと描いているのが面白いと思う。だからこそここにきた龍馬の変貌とかそういうのが、実感を伴わなくって胡散臭さ倍増なんだけど。つか大政奉還とか無血開城とか、家茂の死で時勢が味方したのが大きいだろうしさー。
弥太郎の痛々しさに可愛げがないのがにんともかんとも。久しぶりの溝渕殿(ピエール瀧)は面白かったけど、弥太郎のDQNっぷりに笑う余地はあんまり(θωθ)~*