13人の刺客

http://13assassins.jp/main.html
つまんないことはなかったけれど、おはなしとしては薄かったかなあ。
おはなしが薄いというのは、視点人物がいないんだよね。
いろいろネタバレあるんで隠しまーす。アクションシーンを見る時代活劇としてはかっこ良かったしカタルシスもあったけど、ドラマとしてはいつもの三池作品というか、無理して見ることはなかったかなあって感じ。
役者の仕事としての面白さはあるんだけどね。




主人公は島田新左衛門(役所広司)なんだけど新左衛門視点ってわけでもないし、最後に生き残る甥・島田新六郎(山田孝之)視点ってわけでもない。
むしろ視点人物は新左衛門の敵、明石藩御用人の鬼頭半兵衛(市村正親)なんじゃないかと思うのは、半兵衛が一番、新左衛門の行動の意味を分かっていると思うんだよね。立ち位置は対立するものだけど、新左衛門の行動の意味とか信念の正しさを分かっているのは、他ならぬ半兵衛自身だっていう。分かった上で、それでも斉韶(稲垣吾郎)のような暴君が政(まつりごと)を私していろんな人が踏みにじられることは普通にあるし、それは武士が主に仕える仕組みの中では起こっても仕方のない誤謬なんだよね。仕方のないことだから、あくまで阻もうと思えば血を流すこともすべてを失うこともやっぱり仕方がない、っていう。
そういう前提の物語だから、斉韶の人物像に怒りが湧かないというか、「ああしょうがないなあ」という感はあるんだ。斉韶に気まぐれに犯される千世(谷村美月)も、事実に怒る間もなく殺される夫の釆女(斎藤工)も、それはそういう運命であってしょうがないのはしょうがないんだと思う。でもそういう運命を阻むために誰かがなにかをしなければならない時はやっぱりあって、それと戦うのは武士という権力を守るための存在であるべきだし、結局誤りというのは、内側から正されるべきものなんだと思う。
そういう“大きいもの”と“大きいもの”が戦う構図が活劇のカタルシスを担保する一方で、個々のドラマの弱さに通じたのはあるかなあ。実際13人といっても個体認識できるのはいくらもいないし、それぞれなんとなくの見せ場はあるにしてもさほど印象的なものでもないし。はじめて人を切った小倉庄次郎(窪田正孝)のクライマックスの変化とか、ひとりでおいしいところをかっさらった小弥太(伊勢谷友介)とかはあっても、さほど旨味のある仕事だって印象はないです(^_^;。
ただ出てるのも知らなかった石垣佑磨とか、もともとの動機である山田君とか、画面に存在する美しさとしての役者の存在感とかそういうのはあるなあ、って思った。実際衣装も似たような地味着物だし、死ぬ時は土や血でデロデロで個別認識困難だけど、みんななんつーかきれいだもん。佑磨のまっすぐな視線の美しさとか、私山田君って決してルックス好きじゃないし、20代の役者としてもうちょっと管理しようよと思っちゃう瞬間すらあるくらいだけど、やっぱあの存在感はなんもいえんくらい“美しい”ものなんだよね。ドラマを象徴するくらいの美しさっていうかw。
物足りなさはあったけどつまらなくはなかったかなあ。斎藤君とかもきれいだったし、描写は薄くても気持ちとして理解できない人物はいないし、まあ面白かった。でもDVDは買わなくって良いわw。