龍馬伝/第5話「黒船と剣」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/index.html
演出:真鍋斎
1853年龍馬18才、桂小五郎20才、以蔵15才、武市22才(生年より単純計算)
演出は3話の真鍋さん。なんとなく2番手扱いっぽいけど私この人の演出の方が好きみたい。なんかこの人だと“青春ドラマ”って感じする。
もう龍馬(福山雅治)と桂(谷原章介)が黒船見にいく場面とか、「これやってるのが健と石黒君だったりしたら、全然見え方違うんだろうなあ」って思うんだけどね。役者じゃなく見え方の問題で。やってることは子供の軽はずみだと思うんだけどさー。そういう好奇心を持たない私みたいな人に世の中は動かせないんだけどw。
いやペリーの黒船来航なんて小学校で習う言葉だし(じゃなかったっけ?)幕末は何度もドラマになってるネタだからこれも何度もドラマになった事件だけど、その内実を一番それらしく実感できたのはこのドラマだと思う。250年鎖国を貫いた日本が開国を迫られるというのはそら大事件だけど、どう大事件なのかよく分かんなかったしさ。その内実が実感できるのって、このドラマの主人公であるところの龍馬が“ただのひと”だからだと思うの。
最初の鎧買う大騒ぎの場面が象徴的だけど、江戸時代のお侍さんにとって剣術ってある種哲学的な自己実現の対象でしかないと思うんだ。つか手っ取り早い出世のツールではあったんだと思うけど。
だから龍馬がお江戸で剣術を学びたいっていうのは自分が探したいってことでしかなくて、でもそこで実際に“黒船”という“世界”を見てしまったら“自分”なんか探してる場合じゃないんだよ。だって自分がどんなふうだって、自分の価値は世界と“関わる”ことでしか量れないんだから。つっても“江戸時代の日本”という“セカイ”で生きてる千葉道場の人たちが、自分すら見極められない龍馬が世界を語るなんて10年早いわ、って思うのはある種正論だと思うけどさ。
んで私がこの番組を楽しんでるのって、武市(大森南朋)という郷士という侍としては不十分な身分にある人が、攘夷という武家社会(というか武家世界?)にこだわるのって、侍という身分を考える上ですごい面白いなー、と思うわけです。今日も面白かったよ武市さん! 田中泯さん(吉田東洋)も大好きだからときめいたよ!
「黒船が来たら異人の首を取ってやる」という以蔵(佐藤健)は今週もおばかちゃん丸出しだったがいやかわいーなあこの忠犬ぶりがv。
平井収二郎・加尾(宮迫博之広末涼子)、千葉重太郎・佐那(渡辺いっけい貫地谷しほり)のモテ男龍馬を巡るラブコメもおかしかったし今週は文句ないです。なんかこの番組見ると元気出る。もう1回見よv。←をいw。