龍馬伝/第9話「命の値段」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/index.html
演出:大友啓史
1856年。龍馬21才、以蔵18才、武市25才、桂小五郎23才、弥太郎22才(生年より単純計算)
大友さん武市(大森南朋)のメイン回に満を持して光臨。しかし序盤は予想外の中学生日記であった。終盤は予想どおりの武市萌え回であったがw。
いやあのさ。私もそんなに歴史詳しくないけど、今の目で見たら武市さんの攘夷って了見狭く見えるだろうけど、この時代ってむしろそういう意見の方が強かったんだよね。維新後に土佐が薩長に継ぐ位置に入り込めたのとか、武市さんの土佐勤王党があったことと無縁じゃないし。
だからこの時点で自分と同じ攘夷の志士たちが、藩に対して次世代の旗手としての厚遇を受けて発言力を持つ中、下士だから相手にされないことを恥じる武市の気持ちは分かるんだ。
武市さんって結局、本質的にはすごく世界が狭い人なんだと思うんだよね。今回って#1と対応したはなしだったと思うんだけど、この切腹騒ぎってあの武市さん自身の切腹騒ぎと同じ、ほんとなら「そんなことで死ななくて良いじゃん」って笑いばなしで良いはなしなんだと思うんだ。「一大事だと思う気持ちは分かるけど、世の中にはもっと大事なものがあるんだよ」っていう子供の思い込みだよ。
だからそう諭して説得すれば良いのに、それを許さないのって結局平井収二郎宮迫博之)たちの武市ageの神格化だと思うんだよね。世の中が黒船だ攘夷だって動いてる時でも、一方で幼なじみの男の子たちが楽しくやっていく日常の暮らしっていうのはあるのが当然で、だからこそ武市にとって龍馬(福山雅治)は「おまえほど心和む相手はおらん」って相手なんだと思う。それは武市自身が望んで自ら招いたことなんだけど、武市自身の中にだって鬼になろうとする自分への怯えはあって、仲間を死なせたくないって気持ちはあるのに平井たちが“ただの人”であることを許さない。平井たちが龍馬を責めるシーンの武市の怯えるような表情がさー。もう「おまえら追いつめるなよー」ってはなしで切ないっっっ。
でもその平井の行動だって、元は妹(広末涼子)の良縁を打ち壊した龍馬への反感があるんだと思うんだよね。その辺は妹の恋のために心を砕く、千葉重太朗(渡辺いっけい)の人物像との対比なんだろうけどさ。
以蔵(佐藤健)は武市が認められてることを龍馬に自慢するとことか、山本の切腹に心を痛めるとことか全編見せ場でありました。長い台詞なんかいらんのだ。肝心なのはそこでどんな気持ちでいるかがこっちに伝わることだ。その気持ちに納得するためにすべてのシーンがかみ合って機能してるから、以蔵の出番の多寡なんか気にならんのだよ。
佐那(貫地谷しほり)のラブコメも笑ったし今週も面白かった。ずっと出ていた日本地図が邪魔なんで、忘れないで再放送録画しなくっちゃw。