龍馬伝/第23話「池田屋に走れ」

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演出:真鍋 斎
1864年。龍馬29才、以蔵26才、武市33才、弥太郎30才、桂小五郎31才、久坂25才(生年より単純計算)
なんちゅうかさ。「志を違えて出ていったのならそれだけの覚悟があるんじゃろう」ってまったくの正論だと思うんだ。なぜこの番組はその正論を吐く彼等を友達甲斐のない人間のように描いて、亀弥太(音尾琢真)の覚悟を理解しない龍馬が正しいように描くの? 亀弥太が攘夷に走ることで歴史が変わるか否かは別にして、少なくとも亀弥太は我が身の安全より武市さん(大森南朋)たちと共にあった志のために行動したんだと思うんだ。なぜそれを後悔したと描くのかなあ。
武市さんでもそうだけど、土佐では犬猫同然の下士である彼等にしたら、「自分はそれでも武士である」って結構大問題だと思うんだよ。端から見れば目くそ鼻くそでも、彼等はそれをよりどころに、なにかを目指す際の困難に耐えたんだと思うんだ。だからこそ武士になったと言いながら町人の娘を娶る=この激動の中で自分の理解とは方向の違う幸せに踏み出す長次郎が許せなかったり、浪士組とはいってもほんとの武士はいくらもいない新選組に止めをさされるのが悔しくて自分で腹を切ったりしたんだと思う。なのになぜそのことを最期に後悔するんだろう。
んで今週の演出は女優番真鍋さんだったのだがさすが真鍋さんの撮る以蔵(佐藤健)は花のようだった……って、私なんか間違ってる? だって乙女ねーさん(寺島しのぶ)はもとより冨さん(奥貫薫)より綺麗かったよ。龍さん(真木よう子)は今週も特攻服着てるみたいだったしw。
まあ牢の中で声を落とした武市さんと以蔵の会話が後藤象二郎青木崇高)に聞こえているのかいないのか分からんとか(聞こえてたら自白扱いだろうし、聞こえてないんだろうねえ?)いろいろ疑問はあったけど、そこはふいんきで良いです。武市さんと以蔵のつかの間の再会でもその時点での武市さんは以蔵が生きてることを心から喜んでて、それでも勤王党の首魁としては、この子のせいでみんなが死ぬようなことだけは避けなければいけない。でもそうすればこの子はきっと、長い拷問に耐えることになる……。
でもそんな武市さんの思いとは別に、以蔵にとってはきっと武市さんに会えたことがうれしい一心だろうし、引き離されるのがつらいってだけだったと思うんだよね。そして武市さんになにかを「しろ」と言われることは、無条件で以蔵の支えになるんだと思うよ。
新選組は今週もかっこ良かった。あまり台詞もなくキャラ付けとかもせず、ちょっと不必要なくらいに姿の良い役者を揃えて(泰造さんもきれいだわよw)花のかんばせに血を浴びた新選組のきれいなことったらv。歌って歩く沖田(栩原楽人)もきれいだったし、長州たち幕末の攘夷派を悲劇に導く新選組の死神のような美しさが、この番組の演出チームが第2部において、龍馬の希望より武市たち死にゆくものの悲劇を描くことを主眼に置いてる証拠だって思うんだよねw。
そういえば牢番の和助さん(小市慢太郎)なんか見覚えあると思ったら、長澤版セーラー服の極悪黒木さんだった。あの人悪かったよなあ。覚えるわけだよ。